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#1221/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/17 0:16 ( 91) ニツコー>66Q&A4番              三鷹板吉 ★内容 4.ダッハウがドイツ本国内にあり、サイモン・ウィーゼンタールでさえもダッハ   ウは絶滅収容所ではなかったと言っているとすると、なぜ、何千人ものアメリ   カの復員軍人たちは、そこが絶滅収容所だったと言っているのか? *IHRの主張  連合軍がダッハウ収容所を占領した後、何千人ものアメリカ兵が収容所の中に通 され、ガス室であると強弁されている建物を見せられたからだ。また、マスメディ アが、ダッハウは「ガス殺」収容所だという偽りの情報を大々的に流したからでも ある。 *ニツコーの回答  数万人もの人々が餓死させられ、収容所内のそこかしこで殺されたという意味で、 確かに、ダッハウは死の収容所だった。しかし「絶滅収容所(extermination camp) 」という用語は、ダッハウには当てはめないほうがよいだろう。一般的にはこの用 語は、ナチに占領されたポーランド領内にあった、ガスによる大量虐殺が行なわれ た大規模な収容所を意味するものとして使用されているからだ。(疑問3番を見よ)  疑問とされていないのは、そこにガス室が存在したということである。連合軍は ダッハウのジグムンド・ラッシャー医師からヒムラーに送られたメモを押収した。 それには以下のように記述されている。(コゴン他「ナチ大量殺人」1993年 p.202 を見よ)    ご存じのように、リンツ(ハルトハイム)で使われたのと同じ設備(ガス室)   が、ダッハウ強制収容所にも建設されました。しかるに「病弱者の輸送」は、   ある種の部屋で、どのみち終点となります。我々の多種の戦闘用ガスのいくつ   かを、この作戦にかかわる特別の人間たちに対して、テストできないかどうか、   お尋ねする次第です。現在までのところ動物実験と、これらのガスの製造中の   事故死報告しかありません。以上の一節により、この手紙は「機密」と印して   お送りしました。  あるアメリカ人のリポーターは、収容所の占領直後に、ガス室の実態を見せる映 画を作成した。その映画では、シャワー設備など実際には無いにもかかわらず、ガ ス室に「ブラウゼバッド(Brausebad)」(「シャワー」)と表示されているのが 映し出されていた。  ダッハウのガス室が実際に使用されたと証明できるか否かの問題について、明確 な答えは出されていない。歴史学者の幾人かは、ガス室が一度も使用されなかった ことに疑問はないと言っている。幾人かは、この問題にはまだ決着がついていない と言っている。この問題をたどっていくと二つの証言につきあたる。一つはイギリ ス軍士官ペインベストの証言で、彼はラッシャー医師がガス殺について話していた のを聞いたという。もう一つはフランツ・ブラーハ医師の証言である。ブラーハは、 実験的ガス殺について宣誓供述している。さらに詳しい情報が得たければ、コゴン 他の前掲書pp.202-204を見よ。ブラーハ証言については「主要戦犯裁判」1947年 第5巻 pp.167-199を見よ。  ホロコースト否定者は、言うまでもなく、ガス室は一度も使用されなかったと述 べる意見をのみ提示している。否定者はしばしば、1960年のミュンヘンの現代史研 究所長の投書から引用する。(ツァイト紙 1960年8月19日 p.16を見よ)    ダッハウではガス殺は行なわれなかった。    ダッハウでもベルゲンベルゼンでもブーヒェンヴァルトでも、ユダヤ人や他   の人々はガス殺されなかった。  この投書は、もちろん、ガスによる大量虐殺がもっと大きな収容所で行なわれた ということを確証するものである。だが、ホロコースト否定者はその部分に言及し たがらない。1960年以来、研究所はさらに調査を行なって、新たな結論に至ってい るのだが、そのことについても否定者は言及することを好まない。研究所は現在は 以下のように述べている。    ……ガス室が(ダッハウに)建設されたが、そこでは……ごく少数の実験的   ガス殺が行なわれた、と、より最近の研究が確証している。  最後に、「マスメディア」は大部分において事実を述べている。すなわち、ダッ ハウはごく小規模なガス殺の場として使われたのだ。「ガス殺収容所(gassing ca mp)」という用語が適当かどうかは、おそらく、その用語が使用される文脈にかか っている。もしIHRが、不正確な記述を掲載した新聞や雑誌を引用紹介しようと いうのなら、勝手にやらせておこう。不正確な記事が出たのは、これが最初ではな いし、最後でもない。もしホロコースト否定者たちが、新聞記事のミスがホロコー ストなど起きなかったということを証明する助けになると考えているとしたら、彼 らが欺かれていることは明らかだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  先日来の「ダッハウの未完成のガス室」に関する考察としても、まあこれで十分 でしょう。  ツァイト紙に投書したというのはマルチン・ブローシャトのことですが、東大の 石田勇治さんの指摘によれば、1960年当時、彼はまだ「所長」ではなく、所長にな ったのは、それから12年も経ってからとのこと。もちろんホロコースト否定者の側 としては、「ダッハウやベルゲンベルゼンその他でガス殺はなかった」と言った人 物が「所長」であるほうが都合が良いことは明らかで、彼らはそう記述しているワ ケです。  否定者の中には歴史学者の間の見解の相違を「定説のいい加減さ」と意図的に誤 解するのみならず、マスコミ報道と歴史学者の見解との相違まで「定説の変更」と 超拡大解釈して強弁する豪傑もいるようです。くれぐれもご注意を(笑)