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#1229/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/21 9: 9 ( 98) ニツコー>66Q&A12番              三鷹板吉 ★内容 12.この「宣戦布告」は、「死の収容所」が噂され始める前だったのか、後だった   のか? *IHRの主張       ・  ほぼ6年も前である。ユダヤは1933年にドイツに宣戦布告した。 *ニツコーの回答  疑問11番への答えでチェックしたように経済的「戦争」だった。  ここにも内的矛盾がある。疑問10番への答えの中で、サミスダット版は「ドイツ の死の収容所についてのインチキな作り話」は1933年に「流布された」と主張して いる。  もう一つ内的矛盾がある。疑問54番への答えの中でIHRは「ドイツはシオニス ト指導部と誠心誠意の関係を維持していた」と述べている。戦争は、誠心誠意の関 係などではない。  1939年に戦争が勃発した、その何年も前にナチ指導者がなした声明と行動がいく つかある。  1919年、ヒトラーはある手紙の中で以下のように書いている。    …国民をより偉大な存在のために戦わせるすべてのもの、宗教、社会主義、   民主主義はかくあり得るが、それらは単にユダヤ人に彼らの貪欲と権力への渇   望を満足させるための手段として提供されているのだ。    (感情的反セム主義とは)対照的に、理性的な反セム主義は、ユダヤ人の特   権に対する、組織された合法的な闘争と撲滅運動を指導せねばならない。我々   の間に混じり住んでいる他の外国人よりまさって、ユダヤ人はそれらの特権を   享受しているのだ。その最終目標は、なんとしても、我が国の中心からすべて   のユダヤ人を完全に除去することでなければならない。  1924年:ヒトラーは獄中で「我が闘争」を執筆した。その中で彼は、第1次大戦 中にドイツが有力なユダヤ人をガス殺しなかったことを悔いている。  1932年:ヘルマン・ゲーリングはナチ党(権力を掌握する前の)を代表してイタ リア人のリポーターのインタビューに答え、以下のように言っている。すなわち、 ナチスはユダヤ人から自らを防衛する必要がある。そのために、ユダヤ人との通婚 を禁止し、東欧の血を引くドイツのユダヤ人を駆逐し、ドイツ土着のユダヤ人を、 彼らが「破壊的、反国家的、国際的影響」を及ぼすおそれがあるとナチが考えると ころの、名誉ある地位や立場から引きずり降ろすことが必要である、と。  このインタビューを再録したナチスの白書の中で、ナチは、彼らがユダヤ教会を 炎上させ、殺人傾向のあるユダヤ人の一団をゲットーや牢獄に閉じ込め、彼らを木 から吊るすつもりである、と述べている。(1932年7月13日「NSDAPの陣地」 (NSDAP=ナチ党))  1932年夏:プロイセン議会(ワイマール議会)でナチ党は、ドイツ人の血をひか ない俳優と芸術家の解雇、ユダヤ教の儀式に従った食用動物の屠殺の禁止、ドイツ に居住する東欧ユダヤ人の資産の没収を要求した。  1932年7月31日:ゲッペルスはアングリフ紙に、ユダヤ人に対するポグロム(三 鷹注:ユダヤ人に対する迫害と虐殺)を要求する記事を執筆した。  1933年1月30日:アドルフ・ヒトラーは、ドイツ首相に任命された。  1933年3月:ナチへの反対者たちが逮捕され、最初の強制収容所に投獄された。  1933年3月13日:ヒトラーはゲッペルスを大臣として情報宣伝省を設立した。  1933年3月23日:ヒトラーは「国民と帝国から苦難を除去するための法律」に署 名した。これにより、ヒトラーにドイツ国内の地方議会すべてを廃止する権限が与 えられた。  1933年3月31日:プロイセン州の司法長官ハンス・ケールとババリア州の司法長 官ハンス・フランクは、すべてのユダヤ人判事と検事はすみやかに職を解かれ、ユ ダヤ人法律家と公証人は今後営業を許可されないと告知した。(彼らの州において。 同じ言明がその後すぐに他の州にも広がった)  この「66Q&A」も否定者のプロパガンダの大部分も、常に、問題をあらかじめ 準備された結論に合うようにするための材料を探している。否定者は、文章の前後 関係から切り離された、ある奇妙な事実を提示する。そして、これ以上は知る必要 はないと、読者を納得させようとする。だが、文章の前後関係を復元してみれば、 しばしば、その奇妙な事実とやらが、当時起きていた他のことと比べて、奇妙でも なんでもないということがバレてしまう。  ここに列挙したのは、1933年のユダヤ人によるボイコット以前の、公式の、よく 知られた反ユダヤ行動や著述だ。これらの行動や著述は、時が進むにつれ、より明 白に暴力的になっていった。ヒトラーは、よりいっそう腹蔵なく本音を述べるよう になっていった。以下紹介する、1939年1月30日の公式声明に至るまで。    本日、私は再び予言者として以下のことを述べたい。もし国際ユダヤ主義が   ヨーロッパ内外において、再び諸国を世界大戦に巻きこむことに成功するなら   ば、その結果は世界のボルシェビキ化とそれによるユダヤ民族の勝利ではなく、   ヨーロッパにおけるユダヤ人種の根絶である。  ヒトラーはこの感情的意見を最低でももう2回繰り返している。公式に、戦争の 間。そして、そう主張する彼は、もはや独りでははなかったのだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  否定者の論法にかかれば、時間の流れを逆転させ、事件の因果関係を逆転させる のも容易いこと。時空さえ超越した難度Eのウルトラ詭弁とでも申し上げましょう か。3連続コバチも霞むほどです。