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#1235/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/10/22 12:28 (129) ニツコー>66Q&A19番              三鷹板吉 ★内容 19.アウシュビッツが絶滅収容所ではなかったのなら、なぜ司令官ルドルフ・ヘス   は、そのように自白したのか? *IHRの主張(オリジナル版)  彼はイギリス軍の制服を着たユダヤ人の尋問者たちにより拷問されたのだ。尋問 者の一人は後にそのことを認めている。 *IHRの主張(改訂版)  彼はイギリス軍の憲兵により拷問されたのだ。彼の尋問者の一人が、後に認めて いる。 *サミスダット版の主張  彼を逮捕した者たちが、聞きたいと望むことを語るように、昔ながらの方法が使 われたのだ。 *ニツコーの回答  ちょっと待ってほしい! 訂正版それぞれで、お話がどんどんあいまいになって いる。  この拷問者は、正確には何を認めたのだ? IHRの最初の主張では、尋問者た ちはユダヤ人のスパイで、イギリス軍の(偽の)制服を着ていたということだった。 もしこれら尋問者の一人がこのことを認めたと仮定するならば、なぜIHRは周辺 のあれこれを変更し、身分を偽ったユダヤ人スパイを、本物のイギリス憲兵に変え たのだろうか。  本当の答えは、この「イギリス軍の制服を着たユダヤ人の尋問者たち」について の主張は、ホロコースト否定者による創作文学以外の、どこにも見受けられないと いうことだ。この主張はこの「Q&A」だけに見受けられる。それを支えるいかな る証拠も存在しないのだ。  別の言い方をすれば、誰かがこれをでっちあげたのだ。後に、別の誰かが、これ らすべてを黙って取り下げた方がよいと決定した。他の65のQ&Aのいくつがこれ と同様なのだろうか? それらの根拠となる証拠を否定者は提示しないから、我々 には分からない。  ヘスの自白に関して言えば、我々はすべての情報を、全体の文脈に従って検討し なければならない。ヘスの自白における本質的事実を確証する、他のおびただしい 証言がある。ガス殺と大量射殺が行なわれたことを、きわめて明瞭に示している押 収文書がある。そのリストはいくらでも続く。ほんのいくつかの例については、疑 問1番への答えを見よ。  ヘスが強制を受け作り話を押しつけられたという仮説に、否定者はきわめて強く 依存している。だが、彼らには断片的証拠の二つきりしかないのだ。  ●ルペート・ブトラーの「死の軍団」という扇情的な本。ブトラーは、ヘスが最   初に見つかった時に殴打されたことの目撃について語っている。彼が、イギリ   ス軍の制服を着たユダヤ人エージェントについて、何の言及もしていないのは、   もちろんである。    最も重要なのは、何が起こったかについてのブトラーの説明は、ヘスが作り   話を押しつけられたとする否定者の仮説と矛盾しているということだ。ブトラ   ーの本のどこにも、ヘスが偽証用に特定の作り話を与えられたとの言及はない。   ヘスが殴打された、と単に述べているだけだ。  ●「リビジョニスト」のロベール・フォーリソンが、勝手に公開はできないとし   ている秘密文書の中に含まれているとされる、断片的伝聞。(もしもそれが関   係あるとするならば、否定者が伝聞を根拠として認める最初の例となるだろう) (「双方の言い分を聞こう」というマーク・ウェーバーの小論の脚注2を見よ。こ の小論は、グレッグ・ラビンのウェブ・サイトとエルンスト・ツンデルのウェブ・ サイトの「ホロコーストについての異なる視点」にアップされている)   この二つの脆い言い訳によって、否定者は、ヘスの自白、証言、告白遺録、その 他、ヘスがガス殺と絶滅計画について言ったり書いたりしたすべてを却下し無視す る。ヘスの証言と告白遺録からの抄録が入手可能である。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− *三鷹の感想  公正を期するために追記しておきますが、1946年3月11日、逃亡中のヘスがイギ リス軍に逮捕され、取り調べを受けた際に、なんらかの暴力が振るわれたというこ とは、ヘス自身による「告白遺録」に記されています。以下、ちょっと長いですが、 その箇所を引用します。(「アウシュヴィッツ収容所 所長ルドルフ・ヘスの告白 遺録」サイマル出版会 pp.170-171)    そして1946年3月11日午後11時、私は逮捕された。私の毒薬ビンは、二日前   にこわれてしまっていたので、そこらにひんぱんに起こった強盗事件の捜索と   感ちがいしたため、まんまと逮捕されてしまったのだ。私は軍事保安警察によ   ってはげしい質問責めにあった。    私は、ハイデの町に送られ、よりによって、8か月前に英軍の手で釈放され   たばかりの同じ営舎にぶちこまれた。    決定的な証拠にもとづいて、私の最初の取り調べがはじめられた。調書に署   名はしたものの、それに何と書いてあるのか私は知らない。つまり、アルコー   ルと鞭が、私にとっては多きにすぎたということだ。その鞭は、偶然、妻の荷   物にまぎれこんでいた私自身のものだった。それで、馬を打ったこともほとん   どなく、ましてや抑留者などには全くないというのに。    しかし、ある取調官は、たしかに、私がそれでたえず抑留者をなぐりつけた、   と決めこんでいた。    数日後、私は、英軍占領地中央取調機関のある、ウェーゼル河畔ミンデンに   送られた。そこでも、私は、英軍首席検察官(陸軍少佐)にいっそういためつ   けられた。刑務所も、この扱いに応じたものだった。  注釈がついていて「ここにいう調書とは、タイプ8頁の文書で、ヘスは、1946年 3月14日午前2時30分、これに署名している。ただし、内容的には、ヘスが後にニュ ールンベルクやクラカウで証言あるいは記述した事柄と、どこも異なったところは ない」とあります。  もちろん「イギリス軍の制服のユダヤ人エージェント」とも「偽証を要求された」 とも書いてありません。ただ、その少し先、ニュールンベルクに送られて以後の記 述に「ユダヤ人取調官」との言及があります。以下引用します。(同書pp.171-172)    拘留生活は、あらゆる点からみて良好だったが−−私は、時間の許すかぎり   本を読んですごした。豊富な図書館が利用できたからだ−−訊問の方は快いと   はどうにもいえない。−−肉体的にはもちろんのこと、精神的にはますますだ   った。    私は、取調官のことをとやかくいうつもりはないが、それは全部ユダヤ人だ   った。心理的に、私は、ユダヤ人によって、ほとんど切り刻まれたに等しかっ   た−−彼らは、すべてを知ろうとした。彼らはその時なお私の眼前に残ってい   るかぎりのことすべてについて、疑問の余地を残さぬほどに私を問いつめた。  以上から最大限のこじつけを試みれば、「イギリス軍により逮捕されたヘスは取 り調べの際に拷問を受け、後に彼を取り調べたのは全部ユダヤ人だった(どヘス自 身が書いている)」となりますか? 否定者の言ってることは、これをさらに脚色 した結果ではないか、とも思えます。  で、この「告白遺録」の中で、ヘスはガス殺と絶滅計画についてハッキリと認め ているワケです。否定者は「告白遺録」を偽造であるとか、拷問による捏造である とかして、証拠能力を否定しているワケですが、ちょと考えると何ともおかしな話 です。捏造もしくは改竄ならば、なぜわざわざ「拷問」と解釈される記述を採用し たのでしょうか?  「告白遺録」の「拷問」のみは真実だが、他はその「拷問」によりでっちあげら れたのだ、との主張であるならば、それは明らかに自己矛盾です。自分が否定する ものそれ自体を根拠としているからです。