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#1261/1770 研究室「パンドラの箱」 ★タイトル (QYA33902) 96/11/13 23: 0 ( 44) ニツコー>66Q&A40番              三鷹板吉 ★内容 40.「死の収容所」を生き延びたユダヤ人の多くは、死体が穴の中に積み重ねられ、   焼かれるのを見たと言っている。そんなことをするのに、どれだけのガソリン   が必要だったのだろう? *IHRの主張  ドイツ人が入手したよりも、ずっと大量のガソリン。当時は、大変な燃料不足だ った。 *ニツコーの回答  「入手」? アウシュビッツ第3収容所、すなわちモノヴィッツ収容所は、工業 生産収容所で、燃料が生産されていたのだ! このことはIHRも改訂版の疑問6 番への回答で認めている。それ以上の「入手」など有りえただろうか?  どのみち、この疑問は読者をミスリードしている。高品質のエネルギーであるガ ソリンのような精製燃料は必要とされていなかった。潤滑油やメタノールのような、 安価で比較的豊富で引火性の低いものが代わりに使用された。ルドルフ・ヘスは、 トレブリンカ絶滅収容所での、戸外の焼却プロセスについて述べている。(ベズウ ィンスカ、チェゼチ共著「SSが目撃したアウシュビッツ収容所」 1984年 p.133)    (トレブリンカでのガス殺の後)ガス室が開かれ、死体が運び出されて、裸   のまま、鉄道線路で作られた枠組みの上で焼かれた。    材木を使って火がたかれた。死体にはこまめに廃油が振りかけられた。  ヘスは自分が所長をしていたアウシュビッツ収容所でのプロセスも描写している。 (コゴン他「ナチスの大量殺人」 1993年 pp.168-169)    1942年の夏までは、死体はまだ大量埋葬壕に運ばれていた。火葬が行なわれ   始めたのは、ようやく夏の終わりに向かってからである−−最初は約2000体の   死体を薪を積んで焼いた。後には、以前溝の中に埋葬された死体を発掘して、   その溝の中で焼いた。死体には潤滑油の廃油が注がれた。後にはメタノールが   使われた。  潤滑油の廃油をいくらか提供するなど、ナチスにとっては大して難しいことでは なかった。  IHRはこの疑問を、オリジナル版の「ガソリン」という見えすいたでっちあげ から、改訂版の単に不正確な「燃料」に変えた。それでもまだ読者をミスリードし ている。「燃料(fuel)」という用語は、いろんなものを意味しうるが、潤滑油の 廃油は含まれない。