石原発言・言葉の問題
(2000/04/16)
ここ数日、インターネットのあちらこちらの掲示板で行われている「三国人」論争を読ませていただいた。「三国人」という言葉についての議論が盛んに行われながら、論の焦点が揺れ動いているように感じた。
いちばん単純な「論争」は、一方に「三国人は差別語である」という論者がいて、他方に「差別語ではない」という論者がいて、互いに「論証」を要求し合っている、という構図だ。両者が共有しているのは、「差別語」という一群の言葉が存在し、「差別語」を使用するのは「差別」であり、イケナイという意識だ。で、ある言葉が「差別語」であるか否かは、なにがしかの信頼できる文書…例えば、辞書や事典、マスコミ各社の規範、国や地方公共団体のガイドラインなど…に明記されている(べきだ)という意識も、双方の主張の背景に存在するようだ。
こうした、言うならば罪刑法定主義のような主張は、単純で分かりやすく、それなりの説得力を有する。が、規範を第三者的権威にしか求めえないというのは、何とも子供っぽい。「『三国人』はサベツだって先生が言っているから」「そんなこと本には書いてないぞ」てな小学生のヤリトリと同レベルだ。また、そもそもいかなる事情で「差別語」なるものが発生するのかという、状況への考察が欠落している。
それに対して「いかなる言葉であれ、差別的に使用されれば差別語である」という主張がある。「差別と感じるひとびとが現にいる」ことが、しばしばその裏付けとなる。こうした主張によれば、「誰かが『三国人』を差別と感じた」瞬間に「差別」が現実のものとして立ち上がるのであるから、「差別語」の発生プロセスを敏感に捉えている、ということになる。
しかし、ごく一般的な言葉が被害妄想的に「差別語」として決めつけられる、という事態も生じ得る。政治目的で悪用するのもたやすい。ある政治勢力が、自分を批判する言説をすべて「差別」と決めつけ、圧殺するための武器としても活用できる。こうした可能性を指摘するだけでも「差別と感じれば差別」という主張に対する反論として有効だろう。
ところで、今回の「三国人」を巡る報道や論争において、三鷹が感じたのは「実感の不在」である。論者の多くは、石原発言で初めて「三国人」なる言葉を知ったのではないだろうか? 「差別語」か否か、実感による判断が出来ないから、「罪刑法定主義」的に辞書や事典に論拠を求めたのではないか? 石原発言を報じたマスコミの記者や、抗議行動を起こした団体でさえ、その大多数は、「三国人」という言葉が実際に使用されていた現場を知らず、単に「マニュアル」に即して「差別語」と判断したのではないか?
極端な話、「三国人」を、実感を伴った生きた言葉として遣ったのは、石原慎太郎都知事ただ一人だったのではないか? その石原は、反響を通じて「三国人」という言葉の、現在日本での扱われ方の現状を知り、それに即してその後の「説明」を行ったのではないだろうか、と三鷹は想像する。
ならば、「三国人」という言葉が生きていた時代はいかなるものであったのだろうか。以下、産經新聞4月15日付朝刊「産經抄」より全文引用する。
承前。「三国人」という言葉の歴史的事実と時代の背景を検証しておきたい。この言葉は、使われはじめたころのニュアンスとしては、軽蔑(べつ)や嘲(ちよう)笑でなく、畏怖や敬遠に近い。むしろ恐怖の対象であった ▼「三国人」は敗戦後の一時期、日本に居住していた朝鮮半島や台湾出身者をさす俗称で、約九十万人の朝鮮人と約四万人の中国人をいう。二十年十一月三日、占領軍総司令部はこの人たちを「解放国民」と指定した。それは「治外法権」と同義語だった ▼解放国民は肩で風を切る勢いで街を行く特権階級だったのである。東京焼け跡ヤミ市を記録する会編『東京闇市興亡史』(草風社、昭和五十五年)によると「彼らは民族的団結心を結集しつつ、都有地や公有地を占拠し“解放区”を形成した」 ▼どぶろく、カストリ、ばくだんなどの密造酒を造り、進駐軍物資の闇市を設けたが警察も全く歯が立たず、ヤクザやテキヤを結集して対抗させた。「警視庁年表」をひらこう。二十一年一月、朝鮮人二十人が富坂署を襲撃し、留置中の朝鮮人を奪還した。同年七月、台湾人百五十人が渋谷署を襲い、巡査部長が殉職した ▼同じ年の十二月には朝鮮人二千人の首相官邸乱入事件というのも記録されている。だからといって、外国人だけが悪かったのではないのはもちろんである。社会全体が混乱と騒擾(そうじよう)のただなかにあった。それは敗戦日本の責任なのだった ▼重ねて書くが「三国人」という言葉は現代では“死語”であって、使うべきではない。しかしそれが生まれた時代の背景には、そんな昭和史の一ページがあったことは忘れたくない。関東大震災などを引き合いに出すのは筋が違うのである。
こうした時代を肌身で知っていた石原にとって、「三国人」という言葉には「公然と法を無視する外国人暴力集団」という意味合いがあっただろう。石原が「不法入国した三国人」と言ったのは、現在都内の繁華街で麻薬や覚醒剤を売りさばき、不法入国を斡旋し、時に血生臭い武闘事件を起こす外国人犯罪組織をイメージするものとして、ごく自然に出てきた言葉だったのではないだろうか。
石原が、その後の記者会見で「三国人とは辞書にある通り、単に外国人という意味」てな説明をしたのは、石原自身の実感とは異なる、後付けの説明であると三鷹は思う。ある種のそらぞらしささえ感じとれる。だが、石原がそう説明した理由は容易に想像がつく。「産經抄」の言う通り、「三国人」という言葉は、現在では死語となった。かつてそのように呼ばれ恐れられた過去を持つ民族グループも、現在はそのほとんどが、日本の法令を遵守する穏健な民族グループとして、日本社会と平和に共存しているからだ。石原自身の語感を正確に説明しようとすれば、民族グループの「暗い過去」にも言及せざるをえず、無用に民族間憎悪を煽る結果となりかねない。そうした事情をふまえて、石原は「単に外国人」と説明し、「不快に思うひとがいるなら今後は遣わない」と述べたのであろう。政治的判断としては、適当なものであったと三鷹は思う。
さて、今回の発言に象徴されるような、石原の言葉遣いの「粗さ」や「隙の多さ」だが、三鷹は好意的に評価したく思っている。政治家たるもの、まず第一に、空虚な理念やイデオロギーの言葉ではなく、自分自身の実感と肌身に即した言葉を遣って、率直に主張を述べてほしい。その結果、摩擦やトラブルが生じるならば、堂々と受けて立ってほしい。そうした論争、論戦によって初めて、政治の場においても、言葉は硬直化をまぬがれ、豊かなものへと成長発展していくだろうと思うから。もっとも、その「摩擦やトラブル」の相手が、石原に代わって権力と責任を担おうとする堂々たる「政敵」ではなく、報道に名を借りた世論誘導を目論む腐れ左翼マスコミでは、相手をするだけエネルギーの無駄かもしれないが。
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