トマス・ハリス「ハンニバル」

(2000/04/28)

 名作「羊たちの沈黙」の続編。「羊たちの沈黙」はサイコ・スリラーの代表作とされ、数多くの亜流を生んだ。映画化作品はジョディ・フォスター主演で、こちらも傑作。1991年のアカデミー賞を総ナメにした。「ハンニバル」も映画化が決まっているが、ジョディは出ないんだそうだ。とても残念。

 ちなみに「サイコ(psycho)」ちうのはアメリカ俗語で、日本語なら「キチガイ」という語感の言葉だ。最近のアメリカの風潮である「政治的正しさ」にひっかかるらしく、さまざまに言い換えられている。「サイコ・スリラー」は「キチガイが犯人の(連続)殺人もの」と翻訳すべきだ。そうすれば、その「政治的正しくなさ」もキッチリ正しく(笑)伝えることができるだろう。

 「ハンニバル」は「羊たち」の7年後だ。32歳のクラリス・スターリングは、バリバリのFBI捜査官。いまだ結婚歴の無い独身で、ワシントンDC郊外の「労働者階級の住宅地」の一軒家を、黒人女性OLとシェアして暮らしている。レズビアンではないが、興味本位の三流マスコミに「レズ疑惑」を面白おかしく取り沙汰されている。

 このクラリスは、ジョデイ・フォスターのキャラクターイメージで描かれている、とまでは思わないが、ファンがジョディのイメージを投影して読んでも、けして裏切られない。それどころか、逆に、あれこれ楽しいオマケまでついているように思う。

 さて「ハンニバル」の第1部「ワシントンDC」は、クラリスが、ATF(アルコール煙草銃器取締局)、DEA(麻薬取締局)、ワシントン市警との急造混成チームの一員として、黒人女性をリーダーとするギャング団の麻薬精製所をガサ入れするところから始まる。

 クラリス自身は精一杯の仕事をし、銃撃を受け負傷しながらも、十二分の成果を挙げるのだが、ずさんな作戦と情報漏えいのせいで、多数の犠牲者が出る。マスコミはクラリスを「FBIの殺人機械」と非難し、水に落ちた犬さながらに叩きまくる。官僚組織としてのFBIは、世論の非難をのがれるためのスケープゴートに仕立てるべく、クラリスを聴聞会へ召喚する。

 味方に裏切られ、満身創痍のジャンヌ・ダルクのように、心身ともにへたりかけたクラリスの元に一通の手紙が届く。差出人はハンニバル・レクター。逃亡中の連続殺人犯にして、人肉料理の鉄人シェフ(笑)。「羊たち」で天才的な推理力でクラリスをサポートした、あのレクター博士だ。ジャンヌを助けてイギリスと戦った青髭といった役どころか。この感動的な手紙を読むだけでも「ハンニバル」を読む価値がある。邦訳では上巻の56ページだ。前作を読んでいない読者でさえ、ここまで読めば確実にハマり、レクター博士のファンになるだろう。

 その第1部がハリウッド映画ばりのスピーディーなアクションなら、続く第2部「フィレンツェ」は、重厚かつかったるいヨーロッパ映画(ヴィスコンティとかさ)のテイストだ。何ともちぐはぐな構成だと思ったが、ラストまで読んで合点がいった。凡百な「ミステリ」の十倍意外な結末、とだけ言っておこう。トマス・ハリスは単なる「エンターテインメント」の作家じゃないと、あらためて納得させられた。

 敵役の設定が凄い。ベッドに寝たきりで、機械の力を借りねば眼球を湿らせることさえできない最重度身障者にして、最低最悪の罪業を重ねてきた大富豪のメイスン・ヴァージャー。彼の「罪」の一つは、往年のアフリカの独裁者アミンのマブダチとして、携帯用の小型ギロチンで女子供も含む多数の人々を処刑したこと。にもかかわらず、メイスンは政治力により、アメリカ国内では免責されている。その彼の「障害」は、レクター博士の「お仕置き」の結果だ。背骨を折られ、犬に顔面を食い千切られたのだ。

 あえて仮定して言うなら、あの「五体不満足」の彼みたいなひとが、カンボジアで数百万人を虐殺したポルポトに加担してた、てなところかな。そのヴァージャーとレクター博士と、どちらに共感できるか? いわゆる人権派のひとたちに聞いてみたいものだ。

 メイスンはレクター博士への復讐を人生最大の目標としている。その具体的方法は、サルディニアの誘拐業者を使ってレクター博士を生け捕りにし、生きながらにして豚の餌にする、という、なんとも凄まじいものだ。

 「ハンニバル」では、レクター博士の出自や生い立ちが相当に詳しく語られ、作品テーマの基層を形成する。その中で、レクター博士が「フランスに住むいとこで偉大な画家のバルテュス」と言及する「画家」とは、実在するフランスの画家Balthusのことだろうか? バルテュスは澁澤龍彦が日本に紹介した、まさしく澁澤好みの画家である。本名はバルタザール・クロソウスキー・ド・ローラ。その実在の画家を「連続殺人&人肉シェフ」のレクター博士の従兄弟として名指し、許されてるちうのは、すなわち、トマス・ハリスはバルテュスのマブダチ、ってことなんだろうか? ますます凄いぞ、ハリス(笑)

 三鷹は「ミステリ」は月に1冊読むか読まないかなので、半可通丸出しの物言いになるが、今年の「このミス」その他の「第1位」に選出されそうな気がする。なんちゅうか、いかにも「ああいう方面のひとたち」が大絶賛しそうな作品なのだ。いや、別に三鷹も異論はないのだが……

「ハンニバル」 トマス・ハリス 高見浩 訳 新潮文庫

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