森首相「神の国」発言
(2000/05/27)
発言直後に三鷹は食堂掲示板に以下のように書いた。
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森首相がそう言ったのは、別に「天皇神格化」うんたらの特別な意図ではなく、
単に歴史的伝統的事情を論述したに過ぎない。
朝日の見出しだけ見ると、森がクロムウェルか何かのように見えてしまうぞ。
庶民にゃそんな洒落は分からんよ。今度もまた朝日の「扇動」は不発に終わると
見た。
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「特別の意図ではない」というのは、その後森首相本人も繰り返し弁解し、誤解されてゴメンと「陳謝」までした通りだ。「不発に終わる」という三鷹の予想は外れてしまった。衆院選挙の争点の一つにまで祭り上げられそうだ(苦笑)
内閣支持率の急落に端的に示される庶民の反感は、これは必ずしもマスコミの扇動の結果だけじゃあるまい。唐突に政治の場に出現した、なにやら恐ろしげな「神」によって、自分らの権利を侵害されるように思ったんだろう。現在日本の庶民において、宗教一般に対するマイナス感情は確実に存在する。この数年マスコミで騒がれた「宗教」が、オウムやら法の華やら、ろくでもない類だったことを考えれば、当然かもしれない。
その「神」について、ちょと思ったことを書き記しておこう。フィリピンで敗戦を迎えた山本七平は、アメリカ軍の捕虜収容所に入れられた。そこで看守役の米兵は、山本に「ダーウィン進化論」のレクチャーを試みたのだそうだ。米兵の常識に従えば、日本人が天皇を現人神とするのは、中世以前の西欧人がGODの万能を信じたのに等しい。進化論に代表される「科学」が教会の絶対的権威を崩したように、日本軍の将校に進化論を教えることにより、彼の天皇信仰を崩せると考えたのだ。もちろん山本は、進化論を知らないどころか、米兵以上の知識と理解を有していた。
このエピソードは、米兵自身が帰属する「文化」を縛っているドグマの存在を露呈している。50年前はもちろん現在でも、アメリカの複数の州では、キリスト教原理主義勢力の妨害により、公立学校で進化論を教えることができない。日本においては、進化論は100年以上前から何の抵抗も無く受け入れられ、戦時には相当にヒステリックだったであろう「現人神」思想とも、特にカチ合うことが無かった。米兵が暗黙裡に定義した「神」は、山本ではなく、米兵自身の「神」だったのだ。
現在、森首相を攻めている諸勢力が、暗黙裡に定義する「神」とは何だろう? 公明党においては指摘するまでもなかろう。彼らが何よりも恐れているのは、森発言で喚起された「宗教嫌悪」が自らに矛先を向ける事態だ。「発言撤回」を求めるのは当然だろう。朝日を筆頭とする進歩派マスコミや民主党も含めての社共は、無神論なる宗教を確信犯的に支持する勢力でもある。無神論は、キリスト教的文脈においては、共産主義とほぼ同義である。その尻尾が断末魔のあがきを示しているのが、今回の事態であるとも言えよう。
それはともかく、森首相の対応の下手っぴいさには、情けない限りである。発言を撤回しないと言いつつ「陳謝」するなど愚の骨頂だ。マスコミや野党に足許を見すかされるのは当然として、本当はとてもヤバい思想を抱いているのを、さまざまに言葉を飾って隠そうとしている、と庶民レベルにもゲスカンされるぞ。
森首相は「日本とは歴史的伝統的に天皇を中心として成り立ってきた国家であり、日本人の心層の基盤には神道に代表されるような汎神論的思想がある」という発言の真意を、さらに意を尽し言葉を選んで、マスコミを通じて国民一般に伝えるよう努力すべきじゃないか? 「マスコミに誤報された」と唇をとんがらすくらいなら、「誤解を正すためにも、私の思うところを改めてキチンと申し述べましょう」と、堂々と論陣を張ってみたらどうだ。ヒステリックな一時的反発が過ぎ去ってみれば、国民の大多数がごく自然に納得できる内容だと分かるだろう。過激でも何でもない。ごくごく穏健まっとうな、言うならば柳田民俗学レベルの発言でしか(笑)ないんだから。
がんばれ、森首相。「今ここ」こそが正念場だぞ。
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