衆院選の「中傷ビラ」と「反論ビラ」の検証

(2000/06/29)

 6月27日付の「食堂」のMSGの続きである。

 一番分かりやすく、またセンセーショナルなのは「宮本リンチ事件」だろう。以下、2種のビラの記述を紹介する。まず出所不明の「中傷ビラ」。

凄惨な! 宮本リンチ事件

共産党組織の「査問」は、時としてリンチをともなう凄惨なものになります。現・名誉議長、宮本顕治氏は、過去に自らが首謀者となったリンチ事件で、仲間を死に至らしめました。有名な「宮本リンチ事件」です。

1933年12月23日、東京・渋谷区内の民家で宮本氏らは、仲間にスパイ容疑をかけ、手足を針金でしばり、目隠しして猿ぐつわをかませ、殴るけるのリンチを加え、小畑達夫氏を死に至らしめたのです。


 次に共産党による「反論ビラ」。

Q 「宮本リンチ事件」はほんとうですか?

A いま、「日本は天皇を中心とする神の国だ」という首相の発言が大問題になり、いまの日本と戦前の日本の区別もつかない人物が日本の首相になっていたのかと、日本でも世界でも驚きの声があがっています。
 戦前は、ほんとうにひどい時代でした。日本共産党が、戦争に反対し、主権在民の民主政治を主張したというので、あらゆる弾圧が加えられました。そして、共産党を極悪の犯罪人にしたてあげようと、ありとあらゆるデマ宣伝がふりまかれました。この「事件」もその一つで、逮捕された宮本さん(宮本顕治名誉議長)に「殺人」の罪を押しつけようとしたのです。
 しかし裁判で、宮本さん自身が事実と道理をつくして論破したため、あの戦時下の法定でも、政府の思惑ははずれ、別の罪名で監獄に送るしかありませんでした。その「罪」も、戦後、日本が民主主義の時代を迎えたときに、政府によって公式に取り消されたのです。
 24年前にも、戦前のこの問題をむしかえして共産党攻撃の材料にしようという陰謀をたくらんだ人たちが出ましたが、完全に失敗し、その主犯の一人は「職権乱用罪」の判決を受けました。その話をまたもちだそうというのでは、共産党攻撃のタネがつきはてたことの証拠ですね。

戦時下の法廷でもウソが証明されました


 さて、事実はどうだったのだろうか?

 査問を行ったのは、当時の党中央委員の宮本顕治と袴田里見他2名。査問されたのは、同じく中央委員の大泉謙蔵と小畑達夫だ。

 査問の実際は「中傷ビラ」の通りだった。補足するならば、単に殴る蹴るのみならず、事前にピストル、出刃包丁、斧などの凶器を準備して、足の甲に焼けた炭団をおしつけたり、腹に硫酸をかけたりする、残虐きわまりないものだった。「査問」という耳慣れない言葉より、「拷問」と言ったほうが実態に近いだろう。

 大泉は早々に特高警察のスパイであることを認めた。小畑はあくまで容疑を否認した。小畑は、翌日の12月24日、査問委員の隙をついて逃亡を試みたところ、気づいた袴田に取り押さえられ、残り3人が押さえつけた。

 小畑が死んだ状況について、袴田の証言によれば、以下の通りである。

「宮本は右膝を小畑の背中にのせ、彼自身のかなり重い体重をかけた。さらに、宮本は小畑の右腕を力いっぱいねじ上げた。それは尋常ではなかった。苦しむ小畑は、終始大声を上げていたが、宮本は手をゆるめなかった。小畑の右腕をねじあげれば上げるほど、宮本の全体重をのせた右膝が小畑の背中を圧迫した。やがて、ウォーという小畑の断末魔の叫び声が上がった」

 小畑の死に驚いた宮本らは、査問を中止し、小畑の死体を民家の床下に埋めた。やがて逮捕された宮本は、治安維持法違反とともに不法監禁致死等の刑法犯として、無期懲役の判決を受け、収監された。(後、懲役20年に減刑) 以上は戦前の「デマ宣伝」ではない。戦後に検証された歴史的事実である。

 「不法監禁致死」であるから、共産党の「反論ビラ」が、「『殺人』の罪を押しつけようとした」が「別の罪名で監獄に送」られたというのは、間違ってはいない。「中傷ビラ」のほうも「死に至らしめた」とあり、「殺人罪を犯した」とは書いていない。

 また、宮本の罪が戦後、政府により公式に取り消された、というのは事実だが、戦後復権されたのは治安維持法などによる思想犯に限られ、刑法犯ではない。刑法犯である宮本が米軍占領下になんらかの司法手続き上のミスで出獄させられ、その後おそらくは共産党の政治的圧力によって公式文書による追認がなされた、というのが、どうやら実情らしい。

 「反論ビラ」で「24年前の陰謀」云々と言っているのは、1976年に民社党の春日委員長(当時)が国会でこの問題を取り上げ、共産党と宮本委員長(当時)を追及したことを指しているのだろうが、「完全に失敗」だの「職権乱用罪」だのは何を言っているのか分からない。お詳しいかたがいらっしゃったら、ぜひご教授願いたい。

 とまれ、「中傷ビラ」の内容はウソではなく、事件を端的に叙述したものにすぎない。「反論ビラ」のほうも、事件を否定するものではなく、共産党史観に基づく特殊な解釈を述べ、「戦前」という時代への責任転嫁を試みているだけだ。

 その「解釈」とはいかなるものか? 二つのビラを読み比べただけでも分かるだろう。「殺人」か「不法監禁致死」か、罪名はともかくとして、現に人間一人を死に至らしめ、その罪をキチンと償っていない人間をトップに戴く組織が、罪の罪たることを否定し、「デマ宣伝」と無理やりに言いくるめようとする「解釈」である。

 現在の日本人の大多数にとっては、とうてい受け入れ難い主張であろう。

 先のMSGで、三鷹は「共産党自身の反論ビラによってこそ、ソフトイメージは決定的に崩壊したのではないか」と書いたのは、以上の理由による。

 ちなみに、もし三鷹が現在の共産党の指導者だったらば、宮本名誉議長には、すみやかに引退してもらう。その上で、国民に対しては、以下のようなアピールを行う。

 いわゆる「宮本リンチ事件」は、暴力革命を志向していた当時の共産党が、治安維持法によって非合法化され、地下活動を余儀なくされていた時代の出来事です。いわば特高警察と党との「戦争」の時代でした。党組織を防衛するため、特高が送り込んでくるスパイとは、文字通り、命がけで戦わざるを得ませんでした。

 ご存じの通り、現在の共産党は、過去の暴力革命路線は過ちだったとして、明確に否定しておりますが、過去の共産党も現在の共産党も、党としては一貫しております。過去の過ちについては率直に認め、反省するとともに、犠牲者には謝罪し、できるかぎりの償いを行っていかなければなりません。

 悪法の極致たる治安維持法下の事件であり、相手がたとえスパイであったとしても、人一人を死に至らしめてしまった責任は償わなければいけません。宮本元名誉議長は、法的な責任は免れておりますが、道義的責任をとる形で辞任されました。暗黒の時代に命がけの戦いで党を守ろうとした元名誉議長の、いわば「誇り高き老兵」としての勇気ある決断を、党としては万感の思いとともに受け入れざるをえません。同時に、不幸な死を遂げた小畑さん他のひとびとと遺族のかたがたに対しては、党として謝罪し、できるかぎりの償いをしたいと思います。


 「日本教」((C)山本七平)と共産党とを、何とか両立させようと試みた「作文」であるが、意外と「ポスト宮本」の日共の路線を予言しているかもしれない(笑)

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