一読お薦め 嵐山光三郎「文人悪食」
(2000/10/23)
夏目漱石から池波正太郎まで「近代」の文人37人の人と作品を、「食べ物」という切り口で評論したもの。実におもしろく読んだ。
酒食の席で話題にしたくなるエピソードが無数に拾える。例えば、泉鏡花は病的なバイキン恐怖症で、アンパンは裏表を炙って食べ、指でつまんだ部分は捨てていた。大根おろしは煮て食った。耽美趣味が共通する谷崎潤一郎は、グルメで名高く、こってり脂っこくヌルヌルした食い物が大好きだった。この二人が吉井勇と鳥鍋を食ったとき、潔癖症の鏡花は肉がグツグツよく煮えるまで食えない。谷崎は半生こそ旨いとどんどん食ってしまう。鏡花は鍋に線をひいて、こっちは自分の領分だから手を出すな、と抗議したそうだ。谷崎は作品においてもグルメ趣味全開で、「美食倶楽部」という究極至高のグルメ小説も書いている。いっぽう鏡花は、作品においてはとんでもない悪食を描写する。蛇やヒルやトカゲを食い、糞までも食らう。「わざと恐怖を体験する自己治療」と嵐山は解釈する。興味深いことである。
作風とは別に、エネルギッシュに作品を生産した作家は皆、大食で、それも脂っこいハイカロリーの食物を摂取していた、という指摘も興味深い。池波正太郎の洋食好みは知っていたが、山本周五郎も、志賀直哉もそうだった。いっぽう、早死にした作家は、ろくなものを食っていない。芥川龍之介、萩原朔太郎、中原中也。31歳で死んだ梶井基次郎が贅沢しまくっていた、というのは作品からすると意外だ。戦前の作家は結核で若死にする例が多かったから、そのせいもあるだろう。もしも梶井が抗生物質の登場まで生き延びて、結核を克服したら、粘着質の性格で文壇の大ボスに成り上がっていたかもしれない。
今の作家は、総体に昔の作家よりは長生きだが、ある程度以上の年になると、飽食よか粗食が長生きの秘訣となるようだ。作家に限らず、日本人一般に。
嵐山自身が担当編集者だった壇一雄、「弟子」だった深沢七郎にまつわるエピソードが、とりわけリアルに語られるが、書けない話のほうが多いのではないかと推察する。
壇一雄がらみでは、太宰治の話がおもしろい。太宰が熱海の旅館で金が無く困っていたため、太宰の内妻・初代が、壇に旅費込みで70数円を渡して届けてもらったことがあったそうだ。壇が熱海に行くと、太宰はその金で壇を誘って高級天ぷら屋で豪遊して28円70銭を使い、さらに3日間飲んで女を買って、全部遣ってしまった。太宰は「菊池寛に借りてくる」と壇を人質に残して東京へ行った。それっきり10日経っても帰ってこない。その間、壇は旅館に軟禁状態だったが、業をにやした料理屋の主人と壇が太宰を捜しに行ったら、荻窪の井伏鱒二の家で太宰は井伏と将棋を指していた。さすがに壇が怒ると太宰は「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」と言ったそうだ。太宰の熱海での借金は総額300円ほどになっており、一部を佐藤春夫が払い、井伏鱒二が立て替え、残りは初代が着物を質に入れて払った、とのこと。ひどい話である。
太宰が「走れメロス」を書いたのが、この4年後である。太宰治作品では一番ポピュラーで、小学校の国語教科書にも載っている。後年、壇は嵐山に「おそらく、自分の熱海行きがこの小説の発端じゃないかな」と、天ぷらを食いながら語ったそうだ。太宰がメロスで、壇がセリヌンティウス、料理屋主人が王様ちうところか。セリヌンティウスと王様が戻らぬメロスを探しに行ったら、メロスは荻窪で将棋を指していた、ちうわけだ。これでは、小学生に教室で読ませる小説としては、おもしろすぎるし、ちょと難解であろう(笑)
とにっかく、おもしろい話、興味深い話、泣ける話、考えさせられる話がてんこ盛りにつまっている。近代文学に興味があるひとはもちろん、特に興味がないひとにも一読をお薦めする。
嵐山光三郎「文人悪食」 新潮文庫 743円
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