ハードなハードカバー立ち読み

(2001/02/22)

 そもそもハードカバーは苦手である。仕事や調べ物のために読む本は別だが、評論や小説の類はもっぱら文庫と新書に限っている。三鷹の場合、読書に割ける時間は、電車やタクシーでの移動中、出先での飲食中がほとんどなので、重くかさばって携帯に不便なハードカバーは、買ったとしても、なかなか読めないのだ。

 もう12年も前、発売と同時に初版で買ったH・F・セイント「透明人間の告白」など、ほとんど読まずに本棚のコヤシになっている本が何冊もある。一時はハマりまくっていたスティーブン・キングやローレンス・ブロックに距離を置くようになったのも、新刊が文庫では出ず、ハードカバーで出るようになったからだ。

 ならば文庫化された時点で読めばいいだろうと思うのだが、なかなか気持ちが乗らないのだな。ハードカバーが高くて買えなかった学生時代ならいざ知らず、心底読みたいものならば、ウダウダ文句を言わずにハードカバーで読んでいるワケでさ。

 このあたり、ロードショーで観ようと思いつつ劇場に行きそびれた映画が、レンタルビデオに出たからといって、必ずしも食指をそそられない…ちうのに近いように思う。なんちゅうか、気持ち的な「旬」を外してしまうのだ。

 そんな歳月を重ねるうちに、いつの間にやら、書店に入ってもチェックするのは文庫と新書の棚のみで、ハードカバーはノーチェックになってしまっていた。本読みのハシクレとして「そんなことではイカン」と反省し、一計を案じた。「せめて、立ち読みをしよう」と。

 具体的には、書店の新刊コーナーの本をどれでも手に取って、開いてみる。帯の宣伝文句を読み、目次を読み、内容も最低でも10ページは読んでみる。備忘のため、著者名、書名、版元名、コメントを手帳にメモし、後にパソコンのエディターで整理する。「クズ本」「読む気がせん」「それなりに面白そうだが食指がそそられん」「暇があったら読みたい」などなど。立ち読んだ限りで触発されることがあれば、それも記す。

 やり始めてみたら、予想以上にハードな作業である。まず、メモがめんどくさい。一度に4、5冊立ち読んで、書店の外に出て、それぞれの著者名、書名、版元名を正確に書けるだろうか? そういうことが出来る人もいるだろうが、三鷹には不可能に近い。かと言って、店内でメモするのはあからさまに不審だし、1冊立ち読むたびに店外に出てメモるのもめんどう。まあ、慣れちうこともあり、適当な方法をひねくり出したんだがね。

 数えてみたら、一か月でハードカバーを140冊立ち読んでいた。うち、どうにも読みたくなって買って読んだ本が5冊。どれも、立ち読まなければ、おそらく出会うことの無い本だった。それだけでも、やった価値があった。

 副産物的な知識も得られた。同じハードカバーといっても、紙質や造本はピンキリ。ピンは心地よく手になじむが、キリは本文の紙の感触が不快だったり、ハードなカバー自体が乾燥してゆがんでいたりする。恐ろしいことに、定価の高低とピンキリ具合は必ずしも一致しない。

 このへんは、本職の方で分かって当然なことなのだが、要するに「紺屋の白袴」。「生産者」としての自分と「消費者」としての自分では、商品に対する感度が違うでしょ? その「違い」を実感できたちう「価値」もあった。

 世間的には未だ十分には知られていないであろう版元のハードカバーが、意外に多いちうことも分かった。世間的には**なイメージで受けとめられているであろう版元が、意外にもこんな本も多数出している、ちうのも目からウロコでござんした。


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