映画「ハンニバル」は超豪華版CF

(2001/05/14)

 ようやっと「ハンニバル」を観た。ビデオじゃなく、ちゃんと劇場で観れたのは、自分としては「快挙」。ホメてあげたい(笑) GW明けまで続いてるロングランのおかげだ。

 いかにもリドリー・スコットという感じで、原作のうち、映像化して面白そうな部分を、文句のつけようのない完成度で映像化して下さっている。原作の超豪華なコマーシャルフィルムというところか。悪口で言っているのではない。優れた原作の映画化作品としては十分及第点だろう。

 アンソニー・ホプキンスもジュリアン・ムーアも悪くなかった。が、ホプキンスはちょと年取り過ぎ、ジュリアンはジョディ・フォスターの代役という感じが前面に出過ぎ。もっと若いホプキンスとジョディが演ったら、もっともっと素晴らしかっただろう、と観客に「無いものねだり」を喚起させてしまったのでは。タフで骨太で男嫌いのクラリスを演じきったジュリアンは、「その後のジョディ」というイメージにとらわれ過ぎていたんじゃないか。ジュリアンなりに魅力的なクラリスもあったんじゃないか、と思うが、これはしかし求め過ぎだろう。仮に、ジョディのイメージの片鱗も無いクラリスだったら、それが一番の不満だっただろうから。

 論議(?)を呼んだ結末の変更は、じぇんじぇん気にならなかった。原作のポイントはレクターの過去だった。これまた賛否両論だったようだが。要するに、愛する妹を喪ったトラウマがレクターの原点であり、それを補完するのがクラリスだった、と。なれば、美女と野獣が結ばれるのが当然の帰結だろう。どんなにグロテスクでも、ハッピーエンドはそれしかない。映画では、レクターの過去を完全に割愛したから、結末はあれでいいのだ。レクターは、原作の縛りをとっぱらい、クラリスも含めて凡百の人間が理解できるトラウマなどとは無縁の怪物もしくは超人として、続編、続々編で縦横無尽に活躍しまくるのだ。オーキードーキー?(笑)

 インターネットと携帯電話が頻繁に登場するのが、いかにも「今」らしい。特にケータイはいくつかのシーンの最重要アイテムになっている。前作「羊たちの沈黙」と比べて、一番異なるのがその辺かもしれない。原作にも、ここまでインターネット&携帯は登場しなかった。

 調香師に龍涎香の説明をさせるシーンで「日本が絶滅危惧種の鯨を捕っている」ととれるセリフがあったが、これは事実と異なるのでこの場で訂正しておきたい。龍涎香がとれるのは絶滅危惧種のマッコウクジラだが、日本が調査捕鯨で少数捕っているのは、絶滅どころか、増えすぎてマッコウクジラなど他の鯨類を圧迫しているミンククジラである。

 日本おたくのスコットらしく、日本人や日本語がいくつかのシーンで登場する。日本人にとってはギャグだが、欧米人にとってはちょっとしたエキゾチシズムなのだろう。それにしても、パッツィのハンギングを目撃した日本人の団体観光客が、どっと大笑いするってのはいかがなものか。スコットには区別できてないかもしれんが、あの状況で笑うのは、日本人というより、むしろ中国人のメンタリティーではないか? 「タイタニック」は中国でも大ヒットしたが、沈み行くタイタニックから人間がボロボロと海に落ちていくシーンに場内大爆笑だったそうだし。

 と、軽くナショナリズム含有の感想でした。ターター、M。


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