阿井景子>清張+魯山人?
(2002/10/25)
承前 (たまにはこんな書き出しもいいだろ)
晩年の魯山人に罵倒され、泣きながら逃げ出した女編集者は、阿井景子というひとだ。三鷹は10年ほど前に、別冊太陽の「北大路魯山人」に抄録されていたのを読んだ。記憶だけでものを書くとろくなことがないので、確認のため別冊太陽を探したが、本棚の奥底に埋もれているのか見つからない。著者名をネットで検索したら、去年文庫本になっていることが分かった。
阿井景子「わが心の師 清張、魯山人」(中公文庫)という本だ。これが実に伝記的著作としては「珍品」だった。表題の通り、松本清張と北大路魯山人の二人と、編集者から後に作家になった著者との交流を記したものである。この清張と魯山人という組み合わせが凄い。スペードのエースが2枚というか、ダブル役満(に振り込んだ?)というか、「よりにもよって」感、満点だ。
それ以上に凄いのは、語られる清張、魯山人と同じくらい、語ってる阿井景子が自分語りをしているところ。一読して、阿井の半生が分かってしまった。試みに年表を作成してみた。以下、抜粋して紹介する。
昭和29年3月___佐賀大学教育学部卒業、佐賀市立高校に就職。
____12月___高校を辞職し上京。
30年6月〜8月___G出版社の依頼で魯山人の口述筆記。
____9月___教材会社に就職。
31年__7月___魯山人と京都へ。
____秋____ハム罵倒事件。
____?____医学専門書の中山書店に就職。
32年__秋____中山書店を退社、芳文社「週刊漫画」編集部に就職。
33年__6月___清張に会う
34年__1月___肋膜炎を患い、芳文社を退社。
____12月___光文社「女性自身」特派記者に。
35年__?____半年で記者辞職。フリーに
40年__4月___結婚。
47年__?____別居。
49年__?____離婚。
清張と魯山人についてのエッセイなのに、ここまで阿井景子のことが分かってしまう。表題は二人だが、中身は三人分というお得な構成(笑)
それにしても、なんとも荒っぽい経歴である。魯山人の口述筆記を別にしても、大学卒業からフリーになる6年ちょっとで、5つもの職場を渡り歩いている。
最初の辞職&上京についてだが「『いっしょに住みたい』という両親の希望で」と魯山人編にあるが、清張編では「校長の死を契機に」とある。どちらが本当だろうか? 東京に憧れて、というあたりが的を射ていまいか。とまれ、せっかく採用した新人教師に1年も経たずに辞められた佐賀の高校は大迷惑だったであろう。
結婚も7年で破綻している。清張は阿井の夫に「彼女は仕事はできるけど、じゃじゃ馬だから、君の手には負えないよ」と言った、とある。「仕事はできる」が、1年ももたずにコロコロ職場を変えるというのは、性格に相当な問題があるのではないか。
そのすぐ後に「先生はとうに私が圭角の多い人間であることを見抜いていた」とある。「圭角」というのはあまり使わない言葉なので辞書を引いてみた。「玉(ぎょく)のとがったかど。転じて、言語や動作などがかどかどしいこと」とある。性格上の欠点を語るにおいても、自分自身を「玉」に例えるとは、なんちゅうか本中華、大したタマである。
わずか200ページ余りの文庫本だが、読み終えて、おなかイッパイになった。せめてもの腹ごなしに、コラムとして記す。
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