100円コーナーの感傷
(2002/11/07)
新古書店の100円コーナーは哀しい。とりわけハードカバーの棚は。
従来の古書店の棚は、本にとってはしばしの休息の地であった。再び読者の手にとられるその日まで何ヶ月も、時には何年もまどろんでいることができた。だが、古書店に似て非なる、新古書店は違う。
新古書店が仕入れた本は、内容とはほとんど関係なく、一律いくら、もしくは定価の何割という機械的な値付けで売り場に置かれる。そして内容とはまったく関係なく、3ヶ月間売れないと100円コーナーに移される。それでも売れないと廃棄される。内容とは完全に無関係に、だ。
その一律性や機械ぶりは暴力に等しい。現に100円コーナーを見てみれば分かる。「なんでこんな本がこんな値段で?」と思うことがしばしばだ。通常の古書店でなら「掘り出し物発見」と胸躍っただろう。新古書店では呆然としてしまう。「掘り出し物」というには量が多すぎる。「こんな値段じゃかわいそう」との思いにかられる。
かといって、自分で買える本は限られている。すでにまったく同じ本を持っている場合もあるし、文庫版を持っている場合もある。「かわいそう」な本を何十冊何百冊買えば、金はなんとか足りても、自宅の本棚がパンクしてしまう。そして、大多数の本は掘り出せないまま、やがて鉱脈自体が消えてしまうのだ。
かろうじて掘り出せた本の一部を紹介しよう。すべて100円。一部は2冊で100円だ。参考のため、ネットでざっと調べた古書店価格を付記しておく。(その半額でも売れやしないし、売るつもりならそもそも買いはしないが)
石原慎太郎「光より速きわれら」新潮社 2000円
臼井吉見「事故のてんまつ」筑摩書房 700円
柴田翔「中国人の恋人」文藝春秋 1200円
倉橋由美子「ポポイ」新潮社 1200円
筒井康隆「虚構船団」新潮社 980円
心動かされながらも掘り出せなかった本もある。たとえば、素九鬼子「旅の重さ」筑摩書房。これは実に三鷹の青春の一冊(恥)で、高校時代になんべん読み返したか分からない。しかし見送ってしまった。一週間後に再び覗いてみたら、棚ごと消滅していた。
感傷であるのは分かっている。新古書店があったからこそ、掘り出すチャンスに恵まれたのであり、無かったらチリ紙交換に直行したのだろう。そう思うひとは、いっぺん保健所に捨て犬か捨て猫を貰いに行ってみよう。わんわんにゃーにゃー鳴いている何十頭のもの中から、救い出せるのは一匹だけ。その時のあなたの気持ちは………要するに感傷だよね。人間が人間で在るために、たとえ耳糞ほどでも絶対に必要な感情だ。
だから今日も、新古書店の前を通りかかるたびに、100円コーナーをチェックしてしまう。掘り出せたはずの本を見逃さないために。
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