英語教育について

(2004/01/06)

 海外旅行から帰ってくるときまって1〜2週間ほど「英語」について考えてしまう。最近は「こどもの教育」も現実問題となり、これも実に難問だ。

 以前書いた通り、三鷹は「早期英語教育不要論」に与しているのだが、自分のこどもを、例えば香港や台北の街中の、ブランコやすべり台のある公園で遊ばせているとする。「Play with us」とか話しかけてくる地元の子ら相手に、我が子がHelloともThank youとも言えずにムスっとしているのをみると、ちと寂しい。(それでもまあ一緒になって、けっこう楽しげに遊ぶのだが) 最低限の「会話」はさせてやりたいと思うのだが、どの程度の英語をどのように教えればいいのだろう?

 ナイストゥミーチューでもなんでも教えりゃいいじゃん、とのご意見もあろうが、違うのだなあ。ちと大げさに言えば、うかつに教えると肝心の日本語能力のほうに支障をきたすのではないか、と懸念する。ようやっとひらがなの読み書きができるようになる年代なのですね。自分が今まで無意識に喋っていた「言葉」が文字として固定できると知る。その文字を通じて、言葉には規範が存在することにも気づく。自分の周囲の世界が言葉−文字によって秩序化されていく。小難しく言えば、パロールとラングとか、テキストの自律性とかの諸問題に直面しているワケだ。そこに、ひらがなでは書き表せない「もう一つの別の言葉」が存在することを教えてしまったらどうなる? こどもは混乱するでしょう。せっかく確立しつつある世界観が揺らいでしまう。それを避けるため、「ないす とう みいと ゆう」とひらがな化して教えたら、その通りに喋っても通じない。こどもにとっては単なる「無駄な知識」となるだけ。かといって、アルファベットやら「通じる発音」を教えるとなると、こどもの負担があまり大きすぎる。

 「早期英語教育不要論」どころか「英語教育生涯不要論」てな極論も、不可能ではない。現在日本人であれば、英語がまったくできなくても、それ以外の学業に支障は生じない。明治以来の先人たちのおかげで、西欧起源の諸学問…自然科学も歴史学地理学も、哲学でさえ、ほぼ完璧に日本語化されている。日本語だけで物理学も数学も究められる。ロケットも打ち上げられる。余談ながら、アジア・アフリカ諸国をはじめ、ヨーロッパ以外の大半の国では、高等教育を受けるには英語かフランス語が不可欠だ。そんな国々に生まれついた人々と比べれば、現在日本人は格段に幸せである。

 ちと話は変わるが、日本における「英語教育」って余計な苦労が多すぎると思いませんか? 学校英語では、英語を学ぶ以上に、英米の歴史や文化や生活習慣を学ぶことに力点がかかりすぎている。コールリッジやディケンズを読み込んでいたり、イースターやハロウィンの風習に通じていたとしても、例えばシンガポールでインド商人相手に値切り倒すのには、クソの役にも立たない。英会話では、ネイティブのように喋ることが達成目標とされているが、日本人に限らず、非ネイティブにはハードルが高すぎる。さんざ苦労してマスターしたとしても、単にそれだけじゃ「似非アメリカ人(あるいはイギリス人)」が一人誕生するだけで、「芸」以上の意味はない。

 他方では、街場の英会話教室のやりかたが実にひどいんだ。ネイティブ喋りを効率よくマスターさせるためだろうが、アメ公やオージーのような、陽気100%慎み深さ0%のバカ喋りを生徒に強要する。さらには「ジョニー」だの「ロージー」だのアメ公名前を生徒に無理やり割り振ったりさえする。誰がジョニーやねん。板吉だっちゅーねん(怒) 平均的な日本人男性らしく、ごく自然にムスっとして、ボソボソと話すことは許されない。もはや「教室」ではない。人格改造セミナーさながらである。実にあほらしい。

 「外国語を学ぶには、背景となる文化を知らなければいけない」というお題目は十分に承知している。英米の歴史も文化も知って、それなりに評価しつつも、例えば食文化のあまりの低レベルさにあきれ果て、「アメリカにもイギリスにももう行くことはねえな」と見切っている現在の三鷹がいるわけさね。英語は事実上の世界共通語だから、飯を食ったり、買い物をしたり、当たり障りの無い世間話をする程度の英語が使えれば、アジアでもヨーロッパでも、どの国へ行ってもさほど不自由は無い(※)。でもそっから先、歴史や文学(英米以外の)や人生論や哲学を語ったりするには、とうてい足りない。そうした「英会話」をどこで学べばよいのか? 「ジョニー」呼ばわりされることなく、バカ喋りを強要されることもなく。

 で、出来ることなら、こどもに対しては将来的に、英米文化アレコレとはきっちりと切り離された「道具としての英語」を教えたい。もちろん、日本語による世界観をキチンと確立させた後の話だが。ネイティブ喋りは不要。というか有害。黒人のストリートキッズのようなカッコをして、フライドチキンにかぶりつきながら「What's up」なんて言いやがったら、即刻家から叩き出す。ごく自然にムスっとして、ボソボソと話してほしい。あくまで日本人の若い衆らしく。そんな英語をマスターさせるには、どこでどう教えればよいのだろうか?


※唯一苦労させられるのはフランスだ。あえて偏見丸出しで書くが、フランス人にとって、フランス語を解さないのはアメ公か、さもなければ人外。アメ公は「国力」のおかげもあり、かろうじて人間扱いされているが、それ以外は「人間の形をした動物」だ。フランス人には英語に対する妙な対抗意識があり、ことさらに「英語は知らん」というポーズをとりたがる。とりわけ「英語ネイティブではないくせに、英語しか喋ろうとせず、フランス語は挨拶すら知らない日本人」に対しては扱いが厳しい。同じ日本人でも、女性に対しては妙に優しいのが腹立たしい。逆に肌の色による「人種差別」は無い。少なくとも表向きは。ちゃんとしたフランス語を話せばアフリカ人でもアジア人でも「ムッシュー」で、アメ公以外の非フランス語系白人より、格段に待遇がいい。


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