川端康成と今東光(あるいは三浦友和と勝新太郎)

(98/06/09)

 川端が自殺して四半世紀が過ぎんとしているが、川端作品は、今なお広く読み継がれている。時代を超えて、日本人の心の琴線に響くものがあるからだろうが、理由はそれだけではない。たとえば横光利一、片岡鉄兵など、新感覚派の諸作家との比較など・・・に興味がある方は、三鷹食堂なんかに出入りせずに、大学の先生が書いたちゃんとした本を読むこと。

 三鷹はもちょっと下世話に行かせてもらう。川端の同世代の作家(/坊主/国会議員)に、今東光という人がいる。失礼ながら、この今東光と川端との、作家としての人気の変遷を比較してみよう。

 今東光と川端とは、学生時代の川端が起こした第六次「新思潮」以来の付き合いである。当時の今東光は中学中退で暴力も得意な不良文学青年だった。川端が文学一筋に生きたのとは対照的に、今東光は左翼運動に走ったり出家したりといろいろあった後、1956年に「お吟さま」という歴史小説を書いて直木賞をとった。その後は流行作家として、「河内もの」と呼ばれる「シバいたろかワレ」的大衆小説や「毒舌」を看板にしたエッセイを量産した。生涯に200編近くの小説を書く一方、政治や宗教の世界でも活躍。68年から74年に参議院議員をつとめ、71年には天台宗延暦寺派の大僧正となった。

 今東光の小説を読んだことがない人も、”パンツにコカイン”新太郎が主演した映画「悪名」(61年大映)の、題名くらいは耳にしたことがあるだろう。その原作小説を書いた人である。河内の百姓の子で、豪快無類の暴れん坊・朝吉(勝新)と、腕も度胸もイッパシだがドライなモートルの貞(田宮”猟銃自殺”二郎)のコンビが活躍する映画は大好評を博してシリーズ化され、「悪名縄張荒らし」(74年勝プロ)まで全16作が制作された。

 この今東光の小説は、しかし、現在はほとんど読まれていない。「本をさがす」(http://www.books.or.jp/)で検索したところ、現在新刊で入手可能な今東光の小説は「お吟さま」と「蒼き蝦夷の血」の2編のみだった。三鷹はすべて絶版状態だと思いこんでいたので、残っているのが逆に意外だったが・・・

 一方、川端作品は、新潮文庫に限っても15冊も「現役」である。この差は、映画の「お吟さま」(62年松竹)のヒロイン有馬稲子と「伊豆の踊子」(63年日活)のヒロイン吉永小百合の違いじゃ説明できない。が、歴代の「伊豆の踊子」で学生役を演じた津川雅彦、高橋秀樹、三浦”百恵旦那”友和と、「悪名」の「ドタマぁカチ割ったろかワレ」的勝新太郎を比較すると、何となく分かるような気がする。要するに、勝新はネアンデルタールのように滅びゆく野蛮で高貴な種族であり、現在の、そして将来の日本において期待される男性像は、勝新とは正反対の、津川−高橋−三浦ラインの延長に存在するのだ。そういえば「お吟さま」(78年宝塚映画)でブチキレた秀吉役を演じた三船敏郎もネアンデルタールだった。ついでに、この文章を書くのに資料を調べたら、「悪名」も「お吟さま」(78年)も音楽は伊福部昭。音楽まで見事にネアンデルタールしているではないか。

 どうも話が文学から逸れていく一方でまとまりそうがない。いかんなあ。とりあえず、戦後五十ン年、日本が進み行く方向に、今東光作品は明らかに相性が悪いが、川端作品は妙にハマっているんではないかい?(たとえば、ストーカーという言葉が存在しない時代にストーカーを主人公とした小説を書いていた、など)とお茶を濁して、今回はこのくらいで勘弁したるわ、ワレ

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