中央公論社のまんが商売
(98/11/09)
中央公論社に読売新聞の資本が入って云々の今回の件だが、「良心的な本作りをしてきた老舗出版社の暖簾が傾いて、商売優先の読売に取り込まれる結果となった」というのが、おおかたの反応だろう。でも、それとは違う一面もある。
「良心的な本」しか読まないひとには分からないのかもしれないが、中央公論社は、実は相当点数のコミックスを発行している。作家も手塚治虫、石ノ森章太郎、藤子不二雄(FもAも)といった大御所クラスを中心に、千点以上に及ぶ。
まんがを発行する出版社の一般的なやりかたとしては、まんが雑誌を発行し、そこで新人を募集して育成する。新人育成に金がかかるのはもちろんだが、まんが雑誌もそれ単体では赤字の場合が多い。具体的な雑誌名までは言えないが、相当の歴史を持ち、相当数の部数を確保している雑誌の多くでさえ、一号あたり何百万かの赤字だったりする。そこに新規参入した新刊まんが誌が、先行ライバル誌より安い値段でページを厚くしても、半分の部数も売れやしない。新刊誌は一号あたり数千万の赤字を出す場合もある。そうした赤字累積に耐えて、雑誌を出し続け、やがてまとまった作品をコミックスとして発行する。やがて、雑誌出身の新人が中堅クラスに育ち、コミックスを出せば安定した部数が見込まれるようになり、雑誌とコミックスを合わせた収支がようやっとトントンになる。
そのように、荒れ地を開墾し、水を引いて農地にするのに似た労苦を重ねた結果として、コミックスという収穫を得ているのだ。ところが、中央公論のやりかたは違う。金と手間のかかる雑誌作りはせずに、すでに定評のある作家の作品のコミックス化権買いあさりに一点集中するというやりかただ。
まんがをまさに「商売」として、一番利益の多い部分だけつまみ食いしまくった出版社が、そうしたアコギな商売にもかかわらず、経営が傾いて読売の資本に下った、というなんとも情けない評価もまた可能である、と申し述べておこう。
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