朝の教育TV(1)

(99/06/21)

 この春からこどもが保育園を代わり、登園時刻が変わった関係で、NHK教育TVの朝番組を観る習慣ができた。

 すでに多くの論者が指摘しているところだが、この「朝の教育TV」は、TVというメディアにおける優れてユニークな空間であり、一種の「カルト空間」と言っても過言ではない。

 ちなみに、そのカルト空間からスピンアウトして、通常空間における空前のヒットとなったのが、あの「だんご3兄弟」だ。通常空間でのヒットならば、ユークリッド空間における幾何学のごとき、確固たる経済の公式に従って、売れなくなるまで売りつくす徹底的なセールスと、2匹目のドジョウを狙った第2弾企画が期待される。カルト空間においては、このような公式は通用しない。ヒットの立て役者となった茂森あゆみ&速水けんたろうコンビは、予定通り3月いっぱいで降板し、新コンビによる「だんご」は、ほんの数回しか歌われていない。

 以下数回にわたり、「朝の教育TV」の個々の番組を取り上げ、そのカルトぶりについての論評を試みてみたい。

 7時半過ぎに三鷹宅のTVに電源が入る。

 「ひとりでできるもん」の途中からだ。三鷹の記憶が確かならば、十年近く前に「こどもにひとりで料理を作らせる番組」としてスタートし、話題となった番組だ。「まいちゃん」という小学校低学年の女の子に、包丁の持ち方、野菜の切り方など、料理の基本の基本を教えるところから始めて、一つの料理を最後まで作らせる。三鷹はそこまでは観なかったのだが、番組の最終回には、まいちゃん一人でフランス料理のフルコースを作ったとか。いや、これはマスメディアにおける噂、都市伝説の類かもしれない。

 数年ぶりに観た「ひとりでできるもん」にも「料理」コーナーはあるものの、全体のほんの一部に過ぎない。現在の主役も「まいちゃん」だが、もちろん以前とは別の子。ちょっと見に男の子にも見える、「美少年顔の女の子」だ。

 また、番組内で「料理」は特殊な事柄らしく、まいちゃんはCGで構成されたキッチン空間(?)へと転送される。空間の一部にTV画面のようなウィンドウが開いて、そこに登場する「おねえさん」が料理の手順を教えるのに従って、まいちゃんが料理を作るという構成だ。

 このおねえさんも実は「まいちゃん」なのだ。毎回説明がキチンとなされるわけではないので、なぜ二人が同じ名前なのか理解に苦しむ。「未来の自分が教えてくれる」てなSF的設定かとも想像したが、様子が違う。

 そういえば以前の主役も同じ名前だった、と、そこで初めて思い出した。要するに、初代のまいちゃんが成長したところのおねえさん(子役は成長するにつれ顔がどんどん変わるから、見ただけでそうとは分からないのだが)に、「昔の名前」で演じさせているのだろう。現在のまいちゃんは、区別のため「ちーまいちゃん」と呼ばれる場合もある。

 それにしても分かりづらい。番組を観ているこどもは混乱しないのだろうか?

 こども向けのメディアにおいては「同じ名前のキャラクターを出さない」という鉄則がある。例えば、まんが雑誌の連載作品の一つに「太郎」というキャラクターがいるなら、同じ作品に別の「太郎」を出さないのは当然として、他の連載作品にも「太郎」は出さない。似たようなキャラクターを出さざるを得ない場合は、「ウルトラマン」ではなく「ダイナ」「ガイア」というように、いちいち確実に区別して呼ぶ。大人にとっては、どれも同じようなものであり、区別する必要を感じないのだが、こどもはそうしたやり方で周囲の世界を分別し、理解していくのだ。しかるに「まいちゃん」は……

 さて、現在のまいちゃんは、料理のほか、掃除洗濯など家事一般はもちろん、ガーデニングに挑戦したり、交通事故にあったクラスメートの代わりに家業の手伝いをしたり、ボランティアとして盲人を助けたりと、まさに八面六臂の大活躍だ。この年のこどもらしく、TVゲームで遊んだり、まんがを読んだり、塾へ行ったりする暇があるとはとても思えない。彼女の「労働時間」を総計したら、「野麦峠」か、産業革命時のイギリスのこども労働者なみかもしれない。「周りの大人はいったい何をやっているのだ」と、思わず義憤にかられてしまう。

 料理から始まった番組が、ボランティアにまでテーマを拡張してきたのには、何やら「思想的背景」がありそうだ。「こどもも(「女性」同様に)家庭や学校に閉じこもることなく、広く社会に目を向けて活動すべきだ」てな、進歩派やフェミニズムと縁続きの「こどもの権利条約」的思想が。

 あるいは、制作サイドの縄張り争いがあったりするのか? こども向けのボランティア番組を別に作らせないために、「ボランティア」も「ひとりでできるもん」のテーマとし、まいちゃんにひと肌ぬいでもらおう、と。

 三鷹はもちろん、ボランティアがいけないとはこれっぽっちも思わないが、家事に追われて忙しいまいちゃんに、そこまでさせるのは酷だと思う。こどもが一人で料理が出来るだけでも、十分に大したものなのだから。

 それにしてもボランティアのシーンで流れる歌は、ちょとナンだと思う。「どんどんやさしくなっていく」てな歌詞なのだが、聞いてて恥ずかしくなる。「良いことをして、とても気持ちがいいって、それはもちろん悪いことではないけど、そんなに堂々と歌ったりするなよな」てな思いにかられる。少なくとも自分のこどもには歌わせたくない。

(つづく)
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