終戦の詔書(現代語訳)

(99/08/17)

 私は深く世界の大勢と日本の現状とを考えて非常の手段で、この状況を収拾しようと思い、あなた方忠義で善良な国民に通告する。

 私は日本政府に米国、英国、中国、ソ連の四ヵ国の出したポツダム宣言を受け入れることを各国に通告させた。

 そもそも日本国民の安全を確保し、世界の国々と共に栄えることを喜びとすることは先祖から行ってきたことであって、私もそのように努力してきた。先に米国、英国に宣戦布告した理由も日本の政治的経済的自立と東亜の安定を願ってのことで、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯するようなことは、もとより私の意志ではない。しかしながら、すでに四年間の戦争で、陸海軍将兵の勇敢な戦闘、役人の勤勉、一般国民の努力、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦争の状況は芳しくなく、世界の情勢も日本に不利に働いている。それだけではない。敵は新たに残虐な原子爆弾を使用して、何の罪もない非戦闘員を多く殺傷し、その惨害は計り知れない。それでもなお戦争を継続すれば、最終的には日本民族は滅亡し、人類の文明も破壊されることになってしまうだろう。そうなれば私はどうして我が子とも言える多くの国民を保護して先祖の霊に謝罪することができようか。これが政府にポツダム宣言に応じるよう命令した理由である。

 私は日本とともに終始、東亜の植民地解放に協力した友好国に対して申し訳ないと思わざるを得ない。日本国民で戦場で死亡し、職場で殉職し、思いがけぬ死を遂げた者、またその遺族のことを考えると全身が引き裂かれる思いだ。さらに戦場で負傷し、戦災にあい、家や職場を失った者の再起については私が深く心配するところである。思うにこれから日本の受けるであろう苦難はいうまでもなく、大変なものになる。国民のほんとうの気持ちも私はよく知っている。しかし、私はこれから耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで将来のために平和を実現しようと思う。

 私はここに天皇が存在する国の在り方を守り通して、あなた方忠義で善良な国民の真心を信頼し、いつも国民とともにある。もし、感情的になって争いごとを構え、国民同士がいがみあって、国家を混乱に陥らせて世界から信用を失うようになることは私が最もいましめたいことだ。どうか、団結して子孫ともども固く神の国である日本の不滅を信じ、道は遠いが責任の重大さを自覚し、総力を将来の建設のために傾け、道義心や志、操を固くして、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように努力しなければならない。国民の皆さん、どうか私の気持ちを汲んで理解して欲しい。

 天皇の署名と印

 昭和二十年八月十四日


(平成十一年八月一五日付産經新聞より引用)

 三鷹は、中学生以来、終戦の詔書は何度も読んできたつもりだったし、それをラジオで国民に伝える昭和天皇の肉声も、終戦記念日などにテレビ等で何度となく聞いてきた。大意は理解していたのだが、難解な用語や修辞が壁となり、完全な理解には遠かった。いや、この際、正直に白状しておこう。「戦争に負けたというだけのことを、何か難しい言葉を使ってアレコレ弁解しようとしている」と誤解していたのだ。実に恥ずかしい。今回この「現代語訳」を読んで初めて、詔書の意味するところを、実感とともに理解できたように思う。戦後の口語文教育を受けた者ゆえの悲しさである。

 あらためて一読するに、この詔書から「戦後」が始まったのだということが、まさに実感として理解される。アメリカ軍の「進駐」ではない。新憲法でもない。自分たちが生まれ育ってきた「戦後日本」は、この昭和天皇の詔書から直接に始まったのだ。天皇の悲痛な言葉に血涙とともに従い、天皇とともに耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、敗戦を受け入れた日本国民によって、「戦後日本」の建設が始まったのだ。それが、あの時代を生き抜いた日本人の大多数が認めるところだろう。

 逆に言えば、この詔書が無ければ、マッカーサーがコーンパイプを咥えて厚木に降り立つことなど出来なかったし、新憲法も存在しなかった。もちろん、日本という国が、現に在るような形で残ったかどうかも分からない。私事を申すなら、三鷹の父母は終戦当時、それぞれ十四歳と八歳だった。戦争があと数年続いていたら、父母もろとも、三鷹もこの世には存在しなかっただろう。

 それにしても詔書の文章は見事である。簡潔な記述で、大東亜戦争(アジア太平洋戦争)における日本の大義を堂々と主張し、広島・長崎への原爆投下が日本に対する重大な戦争犯罪であるのみならず、人類の文明に対する破壊行為に他ならないことをも的確に批判している。ここには、敗北を受け入れる潔さはあっても、勝者におもねる「自虐」は皆無である。

 であるからこそ、天皇制を否定する左翼進歩派は、終戦の詔書ではなく、マッカーサーと新憲法を「戦後の始まり」としたのだろう。(朝鮮戦争以降はマッカーサーを切り捨て、新憲法のみを) そして憲法前文と第九条の「平和主義」をクローズアップして新憲法を「平和憲法」と称揚する一方で、第一条の「天皇制」については、これを極端に軽んじ、あるいは無視してきた。同時に、左翼進歩派は、共産主義体制を人類の理想境として賞賛し、現実の社会主義諸国における虐殺、弾圧、頽廃には、ひたすらに耳を塞ぎ目を閉ざしてきた。

 戦後五十四年の今年、左翼進歩派が目指してきたのとは正反対のベクトルで、戦後日本がずっとひきずってきた問題のいくつかに対する「結論」が、国論の場で確定した。「ガイドライン関連法」にしてもしかり、「国旗国歌法」にしてもしかり、「通信傍受法」にしてもしかりである。どれも、国民の大多数が当然に納得できる内容であり、国論を二分するような性質のものでは無い。それをあえて大問題であるかのごとく、プロパガンダを展開して国民を煽り立て、まさしく「情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排セイ互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ(感情的になって争いごとを構え、国民同士がいがみあって、国家を混乱に陥らせて)」というような状況を現出せんとしたのが、左翼進歩派だったのではないか。

 その左翼進歩派の惨憺たる実情が明白になったのも、この夏のイベントの一つであった。「牛歩戦術」なる、国政の場でひとが家畜のしぐさを演じる愚劣さを、まんま映し出すTV画像が、そうした実情を見事なまでにありありと暴露していた。

 そのような虚しい努力が水泡に帰した今こそ、左翼進歩派諸氏にも、心静めて、終戦の詔書を現代語訳で読んでみることをお薦めする。彼らなりに、その心に響き、得るところが、少なからずあるように三鷹は思う。そうした期待も込めて、当三鷹食堂にて、産經新聞に掲載された終戦の詔書の現代語訳を全文引用し、掲示する次第である。

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