「空白の自伝・藤田嗣治」

(99/09/30)

日記より

 NHKで「名作で味わうグルメの秋 文豪が描いた食の名場面」なる番組を見る。つまらなかった。内容を紹介するのもめんどうなので新聞のTV欄の表記をそのまま転記しておこう。「再現・昔の味 志賀直哉が愛した中トロずし サンマの苦みは恋の味・佐藤春夫 殺しの後はマツタケ蒸し焼き・池波正太郎 川端康成が落ちアユに込めた愁い」

 同じテーマで12チャンネル系制作プロダクションが作れば、10倍面白い番組になったかもしれない。ダメなところはいくつもあるが、一番我慢できなかったのが、ゲストの発言が馬鹿丸出しなところ。だいたい国生さゆりなんかゲストにすんな。落ちアユの塩焼きを出されて、骨抜きの芸を披露しようとして失敗した馬鹿な親父ゲストもいた。自分も良くは知らんのだが、あれは夏場の若いアユじゃないと出来ない芸なんじゃないのか? そもそも番組のテーマとはまったく関係ないだろうに。

 しかし、その次に何となく見たNHKスペシャル「空白の自伝・藤田嗣治」は実に面白かった。特に戦争画のくだり。ノモンハンを「日本歩兵のソ連戦車に対する勝利」であるかのごとく描かされた藤田が、それとは別に、参戦した某中将から発注されて「ソ連戦車に蹂躙される日本歩兵」も描いていたというのは面白い。藤田が軍事の素人であったとしても、歩兵と戦車のどちらが強いかぐらいは常識的に簡単に見当がつくだろう。絵の方にも、その常識が十分に反映されていたようだ。中将のご親族の記憶による再現のみで、現物が残っていないのが惜しい。両者を並べれば、きわめてすぐれた展示になったと思うのだが。そもそも、敗け戦の絵を敗けた人間が発注したというのも面白い。戦争画というものが、必ずしも戦意高揚目的で作られたものではなく、戦争その物の真実を記録せしめんとしたものであるという可能性をも示唆する。

 藤田が昭和18年に描いた「アッツ玉砕」の絵は、TV画面を通じて見るだけでも凄まじいものだった。画面全体に日本兵とイギリス兵がラグビーのラックのようにぶつかりあい、銃剣で殺しあっている。まさに肉弾戦。日本兵が優勢に描かれているが、全員汗まみれ血まみれでグチャグチャに絡みあい、日本語と英語の断末魔の絶叫も、同様にグチャグチャに絡みあって聞こえてくるようだ。で、「玉砕」というタイトルから分かるように、この日本兵たちも「勝ち」はしなかった。この絵のシーンの数十分後には全滅したのだ。

 こんな絵を見た若いもんが「さあ戦争行くぞ」とはりきるわけがない。戦意高揚に役立ったとは思えない。実際、この絵が一般に公開された時は、観客の反応は激烈で、絵の前で土下座して合掌し、賽銭を投じるものが後をたたなかったという。

 こうしたエピソードを聞くに、「芸術とプロパガンダ」ということについて考えさせられる。時々の権力は芸術をプロパガンダに利用しようとするが、本当に優れた芸術は、見るものに本物の感動を喚起せしめ、その感動はしばしばプロパガンダを無化する。

 藤田にこの絵を発注した軍のプロパガンダ担当編集将校(?)の立場を想像するに、複雑なものがあっただろうと思う。まず出来上がった絵を見て「これはちょと違うんじゃないスか? 藤田先生」と思ったのは確実だろう。「戦意高揚絵画」という発注内容とは絶対に違う。しかし「戦争の真実を描いた芸術」として、見るものに圧倒的な説得力を伝えるだろうというのは、まさに火を見るより明らかだ。現に自分自身が圧倒的に感じさせられているように。編集者としては「とりあえず公開して、万人の評価をあおぎたい」との強烈な願望にかられたことだろう。

 で、公開したら、上記のような激烈な観客の反応だ。「上」が「なんであんな残酷な絵を公開したんだ?」と言ってきたとしても、「現に土下座して拝んでるおばあちゃんの前から、絵を撤去するなんてできんでしょ」と答えたことだろう。内心「やっぱ俺が正しかった」と思いつつ。当初設定したテーマとは違っていようがなんだろうがかまわない。お客さんが熱狂してくれれば良しとする。それが編集者というものである。(ホントか?)

 藤田が大好きだった白人女性を描いて評判だった「乳白色の肌」の秘密は、実は彼独自の画材にあって、当時「毒性が強い」として忌避されていた鉛白を使用していた、というのも面白かった。近代以前の日本では、鉛白は上流階級のお化粧に使われていた。そういえば、「若様」がしばしば虚弱児童だったのは、乳母の乳を吸うときに、乳に塗られた鉛白も同時に摂取し、赤ん坊にして鉛中毒になっていたからだ、という説を、高校時代に日本史の教師から聞いたことがあったっけ。

 藤田は晩年、フランスに帰化し、カソリックに改宗した。パリ郊外の村に住み、そこで絵を描きつつ、村の教会に毎週参拝し、教会の壁にキリストの生涯を描いたフレスコ画を描いたとか。それら、晩年の作品には、正直言って、彼の戦争画にあったような説得力も魅力も感じられない。フレスコのキリスト磔刑図の片隅には、群衆の一人として藤田自身が描かれている。これが彼の「最後に得た安息の場所」だった、ということか。

 人生というのは、そういうものかもしれない。絵でも小説でも何でも良い、凄い作家がいたとして、最後の最期まで作家としての「凄さ」をまっとうしたとしたら、そうした事態そのものが「悲劇」であるか、もしくは「嘘」だろう。ウチのおじいちゃんは、あんなにもヤクザで凄まじいひとだったけど、死ぬ前はすっかりボケておとなしくなっちゃって、最期は赤ん坊みたいになって往っちゃったんだもの……というのが望ましいように思う。

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