ジョージ・C・スコットとキンタマ映画

(99/10/07)

 ジョージ・C・スコットが死んだ。71歳だったそうだ。「まだ生きていたのか」と逆にびっくりしてしまった。スコットの代表作は「博士の異常な愛情」でも「ハスラー」でもない。何と言っても「パットン大戦車軍団」だ。パットン将軍とスコットはキャラクター的に、三鷹の中では絶対不可分なまでになってしまっている。スコット同様、とことんキンタマでかい映画だった。

 「キンタマ映画」というのは、三鷹周辺のローカル語で、「パットン大戦車軍団」のような映画を言う(笑) もう十年近く前になるが、当時担当していた「ラブコメまんが」の作家と会うたびに、肝心のまんがの打ち合わせはそっちのけで、他のラブコメの悪口ばかり言い合っていた。自分たちがやっているのも、ボディコンのねえちゃんがすべったの転んだのという作品(これが何百万部も売れたのだ)であるという事実は、決然と棚に上げ、「パンティーのシワ描くのに血道をあげるなんざ男の風上にも置けんよな」「あいつらキンタマが股間にめりこんでるよな」てな悪口雑言を並べて盛り上がった挙げ句、二人が「キンタマ映画」と名付けた映画作品のビデオを持ち寄っての、大上映大会となるのが常だった。作家も三鷹もともに、ひどく疲れていたのだろう。今思い返すとよく分かる。

 それにしても「パットン」は1970年の作品だから、主演したスコットは41か42歳だった計算になる。今の三鷹と幾つも変わらない。とてもそんな若さ(笑)には見えなかった。最大若く見ても50歳は越しているように見えた。どうすればあそこまで完璧に堂々と親父臭くなれるのだろうか。学びたいものである。

 こころみに、キンタマ映画の条件を列挙してみよう。

1.主要な登場人物が全員男である。
2.テーマが過剰に男性的であり、愛だの平和だの小市民的幸福だのと無縁である。
3.主人公の目的が無意味で愚かしく非生産的である。


 一番分かりやすい(というか説明しやすい)キンタマ映画の珠玉作は「北国の帝王」という作品で、こんな内容だ。

 舞台は大不況時代のアメリカ。職にあぶれた浮浪者たちは、大陸横断鉄道の貨物列車に無賃乗車して、北へ南へ旅をしていた。彼らの間で恐れられていたのは19号列車。その列車の車掌(アーネスト・ボーグナイン)は、浮浪者たちを容赦なく線路に叩き落し、轢き殺してしまうのだ。その19号列車への無賃乗車に、「北国の帝王」とあだ名された伝説の浮浪者(リー・マーヴィン)が挑戦する。

 ね、とっても分かりやすいっしょ? 映画の中盤以降、荒野を疾走する貨物列車の上で、マーヴィンとボーグナインが、火掻き棒やスコップで殴りあうシーンが延々と続く。二人の他には「帝王」に憧れる若い浮浪者(キース・キャラダイン)しか登場しない。男100%。すばらしく男性的で、とことん非生産的である。愛も平和も小市民もつけいる隙が皆無である。見事なまでに「キンタマ」を全うしている。

 その他、「ワイルドバンチ」「特攻大作戦」「Uボート」、ちょと毛色が変わったもので「ライトスタッフ」と言ったところが代表的なキンタマ映画である。ボーグナイン出演作品が目立つな。

 ちなみに、ここ20年ばかりの映画でメジャーな「マッチョ俳優」と言えばスタローンやシュワルツェネッガーだろうけど、彼らの出演作で「キンタマ映画」は皆無であるように思う。「ロッキー」でも「コナン・ザ・バーバリアン」でもそうだが、まず確実に「女」が絡むし、戦いの目的が「愛」や「小市民的幸福」だったりする。「ロッキー」「コナン」はともに低能だが、他の主人公の多くはそこそこクレバーでスマート。目指す方向は無意味でなければ、非生産的でもない。二人ともガタイは立派だが、キンタマは意外と小さいのではないかと想像する。

 もしかすると「キンタマ映画」自体が絶滅しつつあるのかもしれない。少なくとも20年前より「キンタマ性」を前面に押し出した映画は作りにくくなっていることは確実だ。これもまたフェミニズムの陰謀ではないか?

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