「赤い旗」追記

(99/12/03)

 昨日書いたばっかのものに「追記」も何も無いもんだが…ブツブツ。

 槙本楠郎についてもう少し調べてみたくなり、gooで検索したら、「読書猿 Reading Monkey 第73号 (貧乏物語号)」というページに当たった。何と前書きを全文紹介した上、三鷹が引用した作品2編もまんま載っているぢやないか。おぢさんは参つてしまつたよ。

 なるほど「読書猿」というのはメールマガジンなのだな。他の記事も読むに、物事の面白がりかたが三鷹に近いように思えたので、購読を申し込んでしまった。今後はネタかぶんないように気をつけよう。「読書猿」のHPはここです。

 また、「インターネット版児童文学資料研究 77」によると、昭和12年4月創刊の「保育」という雑誌で、槙本と名前が並んでいるのが、まど・みちおだ。まどは明治42年生まれで槙本より11歳若いが、同じ雑誌の執筆者同士、なんらかの交流があったのだろうか? まどと言えば「ぞうさん」が超有名で、この歌を知らない日本人はいないだろうと思う。これは「鼻が長いぞ」と差別された象の子が言い返す歌なのだと、まど自身が言っていた、てな話をどこかで読んだことがある。これもgooで検索してみよう。ああ、ここにもあった。

 「戦前戦中は言論が圧殺された暗黒の時代だった」てな、左翼進歩派の史観がいまだにハバをきかせているようだが、おそらく敗戦前の数年間を例外とすれば、「赤い旗」みたいな本を出版できるほどには自由な時代だったということが分かる。「赤い旗」に限れば、現在のほうが出版が難しいかもしれない。身障者を意味する、いわゆる差別用語が使われているから。こと差別問題では、伏せ字にしても糾弾団体の追及を逃れることは不可能だ。

 その伏せ字についても考えさせられた。「×い旗」が「赤い旗」であることは一目瞭然だが、そもそも、あらゆる伏せ字は難易の差はあれすべて解読可能なのだ。例えば「40字削除」という場合でも、どんな内容が削られたかは前後の文脈から容易に検討がつく。さらに伏せ字は問題の所在をアピールする効果がある。隠すことによって逆に注目させるわけやね。衣服とヌードとの関係に似ている。で、ここがポイントなのだが、伏せ字で思想は変えられない。ロダンの彫刻の首を切り取っても、残った首なし像がロダンの芸術であることは変わらないように。

 現在では伏せ字はほとんど使われない。「お××こ」ぐらいかな。いや、それも最近は無いだろう。文章に何かまずい内容が含まれていたら、全体をリライトし、まずい部分を削除するとともに、削除が行われたことそれ自体を読者に気づかせないようにするのが基本だ。

 江藤淳の「閉された言語空間」は、敗戦後のアメリカによる検閲と思想統制について検証した労作だが、アメリカのやりかたがまさしくリライトだった。彫刻でいえば、丸ごとスクラップにして再鋳造するようなものだ。これならば思想はいかようにも変えることができる

 どちらがマシなんだろうか、というお話。

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