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閉ざされた部屋の中で、無為にたたずむ男。
鉄格子を隔てて、それを監視する男。
見る者と見られる者という非対称的な関係が、
いつの間にか変化してゆく・・・。
密室という極限まで限定された状況で展開する心理劇。

短編として完結した構造を持ちながら、
多様な可能性の開かれた作品を目指しました。
一つの寓喩として、観る人それぞれの想像力で
自由に解釈してもらいたい作品です。

topologyコピー

東陰地正喜監督作品「topology」

大阪美術専門学校卒業制作作品
2000年/16mmフィルム/11分

■ キリン・アートアワード2000 奨励賞
■ オープンアート・オペラ賞

【脚本】東陰地正喜
【出演】高崎知也/小倉大介
【撮影】下江勝也/長田憲侍
【美術】岡島早苗
【メイク】澤田三紀絵

俯瞰三角形構図

W/知也01

W/高崎知也

鉄格子の向こう側にいる白服の男W。
Wという役名は劇中には登場しない呼び名。ヴィトゲンシュタインに由るが、特に意味はない。
高崎知也(当時20歳)は、東陰地と美専の同級生。初対面でその色気に「一目惚れ」。上映後のアンケートでも「囚人役の人がかっこよかった」という意見が多数寄せられた。

K/小倉01

K/小倉大介

鉄格子のこちらにいる黒服の男K。
Kという役名は劇中に登場しない。カフカ(の諸小説の主人公の名)に由るが、これも特に意味はない。
小倉大介は、美専の1年後輩で小劇団出身。当初は無色透明なキャラとして設定されていたKに、このアクの強い役者を当てるのは「賭け」であったが、結果的には成功だったと思う。

二人俯瞰
W/知也02
K/小倉02
コイン

■ 制作過程 ■■■

■ 99年04月/企画開始
美専の卒業制作として、16mmの短編映画を撮ることに決定。

■ 99年06月/脚本完成、撮影準備
脚本執筆と併行して、学内プレゼンなどでキャスト・スタッフを募集。

■ 99年07月/撮影
学内の地下スタジオにセット設営・撮影。
元松竹映画美術の岡島氏の指導のもと、5日間でセット完成。
続く5日間で約80カットの撮影を完了。若干のリテイクの後、1日で撤収。

■ 99年12月/ポジ編完成、アフレコ

■ 00年2月/音声完成、ネガ編、タイミングを経て初号完成

■ 上映履歴 ■■■

■ 00年2〜3月【大阪美術専門学校卒業制作展】
1週間/大阪・美章園
■ 00年9〜10月【キリンアートアワード受賞作品展・東京会場】
1ヶ月/東京・新町キリンビール本社ビル
■ 00年10〜11月【キリンアートアワード受賞作品展・大阪会場】
1ヶ月/大阪・心斎橋KPO(キリンプラザ大阪)
■ 01年1月【キリンアートアワード受賞作品展・名古屋会場】
3週間/名古屋・キリンビール名古屋工場内カフェ
■ 01年6月【SCIF2001】
1週間/東京・青山スパイラルホール
■ 01年9月【「おはぎ」カンヌ受賞記念!京大シネマ研究OB作品上映会】
1日/京都・日伊会館
■ 02年8月【ミーン short film program】
1週間/大阪心斎橋・カフェシアターミーン
■ その他、和歌山【シネワゴン】、静岡【メセナ】など自主上映会にて上映。

■ 批評 ■■■

東陰地監督の映画は常にトポロジーである。奇妙な情景、遠い騒音、不自然なテキストの集合体は、表層では現実と異なって見えるかもしれない。しかし深層では、何らかの意味のある構造を共有しているのだ。世界をフィルムに写像する彼の映画は、まさにトポロジーなのである。

それが今回、特にtopologyという言葉がタイトルに選ばれている。真っ先に思い浮かぶのは「メビウスの環」のことだ。表だと思っていた面が、いつのまにか裏になる。コイントスのように白黒つけることはできない。これは現実世界の何を表しているのだろうか。東陰地監督は「自由に解釈してください」と言うが、これは趣旨が伝わらなかったときに表現力の欠如を責められないよう、事前に手を打っているだけのことだ。彼が本当に表現したかったことはただ一つ。それは「観客と作品の関係」である。

映画には、作品と観客の間に、スクリーンという峻険な壁がある。数多の映像作家がこの壁を越えようと努力してきたが、東陰地監督もその一人だ。彼は作品を上映する「場」全体を演出することに腐心し、あるいは映像を一部として含むインスタレーション作品を手がけてきた。その中では観客は作品の一部であり、見る行為自体が作品を変えていくのである。

そしてこの『topology』では、映画そのものに「観客を巻き込んでいく」機能が付された。今回は、映像の外には立体作品を配置していない。映像の中でも、鉄格子(スクリーンの寓意と見る)が破られることはない。しかしながら主客の逆転はなされた。ここでは手品の種明かしはしないが、監督の技術面での成長を実感させる部分だ。

東陰地監督は新作の撮影を予定している。次はどんな手を使って我々観客という虎を屏風から引きずり出すのか。目が離せない。

(京都での上映会のパンフレット/一圓光太郎氏による紹介文より抜粋)


全ての映画造りの材料を最大限に生かした作品である。この作品のタイトルだけで、他の作品よりも何かを伝えようとしている。

最初から、キャラを設定して(虹のかなたに「オズの魔法使」の主題歌)、コインの両面のテーマをセットアップ。役者の行動(座っていたままで違う世界を期待しているか、立っていたままでうろうろしている)によって優越感や劣等感を表す。それ+カメラの角度。衣装の対象。小道具で、窓と鏡の違い。

全てがストーリーを展開させるためには理由がある。そして最後に、コインをもう一回まわす。まるで、我々への挑戦状だ。

僕らは、それぞれの刑務所から生まれて、どうやって、自分なりの自由でポシティブな方向に行動をしていながら、疑問や恐怖を感じる瞬間がある。

(映像サイト「openArt」Bravoコーナー/クリスチャン・ストームズ氏による講評より)

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