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閉ざされた部屋の中で、無為にたたずむ男。
短編として完結した構造を持ちながら、 |
東陰地正喜監督作品「topology」
大阪美術専門学校卒業制作作品
■ キリン・アートアワード2000 奨励賞
【脚本】東陰地正喜 |
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W/高崎知也
鉄格子の向こう側にいる白服の男W。 |
K/小倉大介
鉄格子のこちらにいる黒服の男K。 |
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■ 制作過程 ■■■
■ 99年04月/企画開始
■ 99年06月/脚本完成、撮影準備
■ 99年07月/撮影 ■ 99年12月/ポジ編完成、アフレコ ■ 00年2月/音声完成、ネガ編、タイミングを経て初号完成 ■ 上映履歴 ■■■
■ 00年2〜3月【大阪美術専門学校卒業制作展】 |
■ 批評 ■■■
東陰地監督の映画は常にトポロジーである。奇妙な情景、遠い騒音、不自然なテキストの集合体は、表層では現実と異なって見えるかもしれない。しかし深層では、何らかの意味のある構造を共有しているのだ。世界をフィルムに写像する彼の映画は、まさにトポロジーなのである。
それが今回、特にtopologyという言葉がタイトルに選ばれている。真っ先に思い浮かぶのは「メビウスの環」のことだ。表だと思っていた面が、いつのまにか裏になる。コイントスのように白黒つけることはできない。これは現実世界の何を表しているのだろうか。東陰地監督は「自由に解釈してください」と言うが、これは趣旨が伝わらなかったときに表現力の欠如を責められないよう、事前に手を打っているだけのことだ。彼が本当に表現したかったことはただ一つ。それは「観客と作品の関係」である。
映画には、作品と観客の間に、スクリーンという峻険な壁がある。数多の映像作家がこの壁を越えようと努力してきたが、東陰地監督もその一人だ。彼は作品を上映する「場」全体を演出することに腐心し、あるいは映像を一部として含むインスタレーション作品を手がけてきた。その中では観客は作品の一部であり、見る行為自体が作品を変えていくのである。
そしてこの『topology』では、映画そのものに「観客を巻き込んでいく」機能が付された。今回は、映像の外には立体作品を配置していない。映像の中でも、鉄格子(スクリーンの寓意と見る)が破られることはない。しかしながら主客の逆転はなされた。ここでは手品の種明かしはしないが、監督の技術面での成長を実感させる部分だ。
東陰地監督は新作の撮影を予定している。次はどんな手を使って我々観客という虎を屏風から引きずり出すのか。目が離せない。
(京都での上映会のパンフレット/一圓光太郎氏による紹介文より抜粋)
全ての映画造りの材料を最大限に生かした作品である。この作品のタイトルだけで、他の作品よりも何かを伝えようとしている。
最初から、キャラを設定して(虹のかなたに「オズの魔法使」の主題歌)、コインの両面のテーマをセットアップ。役者の行動(座っていたままで違う世界を期待しているか、立っていたままでうろうろしている)によって優越感や劣等感を表す。それ+カメラの角度。衣装の対象。小道具で、窓と鏡の違い。
全てがストーリーを展開させるためには理由がある。そして最後に、コインをもう一回まわす。まるで、我々への挑戦状だ。
僕らは、それぞれの刑務所から生まれて、どうやって、自分なりの自由でポシティブな方向に行動をしていながら、疑問や恐怖を感じる瞬間がある。
(映像サイト「openArt」Bravoコーナー/クリスチャン・ストームズ氏による講評より)